お久しぶりです。年末の大冒険

どうも。お久しぶりです。

今回は年末の大冒険について、書きます。

 

 昨年12月半ば、米国ルイジアナ州ニューオーリンズに学会参加のために行っておりました。11月下旬にオミクロン が話題になり始め、もうこれはダメかな、と思っていたのですが、ギリギリまで判断を伸ばし伸ばししていました。そのころ、ルイジアナ州の感染状況は日本の緊急事態宣言解除時程度であったことを確認し、オミクロン が静かなうちに行ってしまった方がよい、と思い切って行く決断をしました。その間にも、米国が24時間前PCR検査を求め始める、ルイジアナ州が帰国後強制隔離3日間の対象となる、など心挫かれることがあったのですが。

 出発前日に東京入りし、出発日の朝に羽田空港PCR検査を受け、夕方の飛行機でまずはシカゴへ。シカゴからニューオーリンズへの飛行機が遅れました。曰く、スタッフの手配にてまどっているということでした。今思えば、この時すでに隔離でスタッフの人手不足が始まっていたのかもしれません。2時間遅れ程度でシカゴ発、回復飛行で1時間ちょいくらい遅れでニューオーリンズ着。

 ニューオーリンズで発表のためのポスターがロストバゲージをくらいまいした。カウンターで確認したところ、まだシカゴにあるとのこと。ホテルに届けてもらう手続きをして、深夜の閑散としている空港で最後のタクシーを捕まえ、ホテル入りは2時半でした。

 

 翌日朝7時半から学会参加。口頭発表にライブで拍手を聞くだけで感慨深いものがありました。米国の研究者仲間と話もできました。外ではほとんどの人はマスクなし。会場ではマスク着用義務あり。金曜まで学会に参加しました。自分の発表もつつがなく終え、プロジェクトの打ち合わせを米国研究者と行ったり、外国の研究者仲間と雑談したり、有意義に過ごすことができました。会場でPCR検査のサービスがあり、帰国用の陰性をゲットしました。また、帰国のためのアプリをスマホにセットし、準備万端の状態にしたときに、スマホをその場に置き忘れて無くして慌てるも、会場の落とし物に届いていたのには感激しました。米国でも落とし物を届けてくれる人がいますね。

 

 で、帰国へ向け土曜日早朝に空港に行くと、前夜の荒天で機材がないと。当日の代替便もない。明日の夕方ニューオーリンズ発、ワシントンDC、ニューヨーク、成田が最速だと言われ、それに従うことにしました。やむなくニューオーリンズで1日延泊。ニューヨークでは12時間待ちだったのですが、外のホテルを使うと起点がリセットされPCR検査の72時間前(フライトキャンセルの場合は96時間前)が適用されなくなるということで、空港泊しました。長時間の待機の後、無事成田へのフライトに乗りました。

 

 成田には予定通り午後3時着。入国の書類手続き、PCR検査。で検査結果待機場所には午後4時半には着いていました。そこから最初の強制ホテルの手配がえらい時間がかかるらしく、声がかかったのが夜の11時すぎでした。時差ぼけで床で寝てました。ホテルに入ったのは午前1時ごろだったか?弁当うまかったです。

 

 強制ホテル生活二日目に同機内のオミクロン 疑いがでたとのことで、濃厚接触者となりました。当時は同機内全員濃厚接触者という非科学的なことをやっており、強制隔離期間がトータル14日間に延びることになりました。高知の保健所から電話があり、高知に戻って強制隔離するかと問われましたが、当時高知に濃厚接触者が一人いることがニュースになるくらい濃厚接触者狩りが横行しておりましたので、濃厚接触者の多い東京に止まることにしました。

 

 当初のホテルは空港検疫管轄、その後は自治体の保健所管轄ということで、4日目に引っ越しすることになりました。引っ越し先は仮設住宅のようなところで、洗濯機あり、日当たり良し、玄関開けて日向ぼっこ、散歩もできる上に食事が勝手に出てくるので非常に快適でした。このまま年末年始を楽しく過ごそうと思っておりました。

 

 28日に入国者の濃厚接触者の基準が感染者の前後二席となり、遡って適応されることになりました。保健所はパンク状態と言うことでこちらから問い合わせることはしなかったのですが、仮設住宅の宿泊療養施設の方が調べてくださって、30日にめでたく濃厚接触者ではなくなりました。出ても良いとなると急に帰りたくなり、31日にコロナ対応ハイヤーでレンタカー屋へ行き、乗り捨てレンタカーで31日中に高知に戻ることができました。12時間かかりました。