怒涛の3週間、英語喋りまくり飲みまくり

 はぁああ、疲れました。怒涛の3週間。しかし楽しかった。

 

 始まりは5月10日でした。米国から3名の研究者が高知にやってきまして、9日間の野外調査です。1名は前から知っているペンステート大学のドン。他はアンディーとジョンで、ドンの共同研究者です。二人ともやや若めだと思います。牟岐2泊3日で、一旦高知に戻ります。そこで、なぜかペンステート大学のドンの同僚が別の調査で高知に来ており、そのホストをしている東北大の先生と合流しました。東北大の方々とは3月に会ったばかりです。夜はうちの学生と先方の学生もまざって大人数の飲み会になりました。その後2日間は横波と汗見川で合同調査となりました。東北大のグループと別れた後、横浪再訪。アメリカ人らしく?なぜかドンの奥さんと娘さんが合流。1日サンプル送付と移動に使い、中土佐黒潮本陣へ。ここでドンの家族共々2泊して、久礼と興津(街の方)でサンプリング。翌日朝にドンの家族を中土佐駅に送ります。母娘で京都に行くそうです。その日に興津の崖くだりを決行し、最後のサンプル送付。翌日は休憩日となりました。その日は私の妻の誕生日でした。いい加減飲み続けだったのですが、妻の誕生日も赤ワインでお祝いしました。飲ませてもらえないかと思っていたのですが、飲めました。

 20日の日曜日。飛行機で東京へ。地球惑星連合大会(JpGU)に参加するため前日入りです。夜は卒業生と現役学生と東京で飲みました。二次会に行ってしまい、なぜか終電ギリでした。いつも学習しませんな。翌日から学会。今回は禁煙に成功しているので、学会喫煙所仲間とあんまり会いませんでした。すれ違ってちょっと挨拶はできました。月曜から毎日、やはり卒業生と飲み、恩師のフェロー就任お祝いで飲み、プロジェクト関連で飲み飲み、結局最終金曜日以外は飲み会でした。さすがに疲れ、金曜日は一人でラーメン屋に行ってビール一杯でやめました。木曜の飲みがやばかった。

 ジョンも学会に出ており、知っている外国人もややいて、今年は思ったよりも国際化が進んでおりました。とくに英語セッションだったスロー地震のセッションは日本人の英語もレベルが高い印象でした。今年は私はポスター発表だったのですが、外国人が少なからずきてくれて、楽しかったです。

 で、土曜日。朝一で東京大学地震研究所へ。海山沈み込みに関する国際ワークショップに参加しました。主催側でしたので、やや気を使いましたが、みなさん好意的だし、頭いいし、議論うまいし、大変助かりました。いいワークショップっだっと思います。もちろん夜は飲みです。翌日高知に戻りました。そのワークショップに呼んでいたイタリア人のパオラも一緒でした。というのも、パオラを誘ったのがJpGUの登録よりも後で、ワークショップのためだけに日本に来てもらうのに申し訳なく思って、高知の地質巡検をする約束をしていたのでした。ちょうどよいことに、高知コアセンターにパオラの知り合いのイタリア人ポスドクであるサミュエレがいて、いろいろ手配してくれました。どうもサミュエレは来月パオラと同じキャンパスで研究員として働くらしく、話すことが多々あったようです。高知に着いてすぐ芸西メランジュをちょっとみて、夜は飲みです。翌日横浪メランジュを見て、昼過ぎに高知コアセンター、で空港に送って帰って行きました。

 実はパオラは来年度の私のサバティカル(予定)の受け入れ教員で、その打ち合わせもありました。まだだいぶ先の話ですが。パオラ、サミュエレと私で何か共同研究できたらいいね、という話になりました。楽しみです。

 ということで、怒涛の3週間、飲み続けの日々でした。英語漬けでもありました。大変疲れました。でもすごい楽しかったです。

論文受理!禁煙うまくいきすぎ坊主

 現在、研究室に中国人の博士の学生がいます。博士の学生といっても、中国の大学の所属です。今彼は中国の国家科学財団から博士学生向けの研究費を獲得しておりまして、15カ月間うちの研究室にいることになっています。ちょうど去年の7月頭に来日して、残り半年くらいですか。実は、彼と彼の指導教員の教授とは2019年ごろからやりとりが始まっており、2019年の11月に日本で一緒にフィールド調査をしました。その時のサンプルを使った論文を書いてくれて、日本にきてからもリバイスにリバイスを重ねておりました。なかなか厳しいレビュワーが一人いて、本人も対応に大変苦労していました。つい先日、おとといかな?ついにこの論文が受理されたと連絡が来ました。よかったよかった!思えば3年半ほどの月日が流れ、ようやっと受理と相成りました。おめでとう!良い粘りでした。なかなか良い雑誌に載りました。

 で、禁煙の方ですけども、まじでちゃんと続いています。飲み会もなんのそのです!現在すでに20日目。節約したお金は13,376円、タバコの本数にして477本分です。おそろしや。妻も驚いています。私も驚いています?うーんなんでしょうね。実はそうでもない。なんだなんだ。口寂しさに吸っているニコチンなしVapeも、別になくてもあっても、って感じで、ある日は家にVape一式忘れたけども、全然大丈夫でした。あったらなんか吸うかな。吸う頻度は落ちてます。今日もコンビニの店員さんに、

「禁煙もう完璧成功ですか?」

と問われ、

「うーん、まだ吸いたくなる時がありますけどね。」

とか、ちょっと話盛る感じで返答。

コンビニ店員「禁煙したら太るっていいません?」

私「本当ですよ。今、1.5キロ太ってます!」

コンビニ店員「タバコやめなきゃよかったとかなるんじゃないですか?!」

と、手元には普段買わないおやつの袋・・・。こら太るわ。

あー楽しい朝のひと時でした・・・。

このまま、タバコやめられそうです。

 最近はコンビニでタバコを買わず、娘の弁当のついでで妻の弁当が続いており、コンビニで買うものといえば、ほんと麦茶とプロテインバーくらいなんです。笑っちゃうくらい安くてびっくりです。おやつでも買おうかと思ってしまうのでした。

 

 んで、頭髪はどんどこ薄くなり、なんか長い前髪と後ろ髪をマージして前髪の生え際の弱々しさを気にする自分がいやになり、坊主にしようと思い立ちました。坊主にするなら私がやるわ、と、妻。ですが、まぁ、お世話になっている床屋に仁義を尽くそうと、床屋に行きました。ら、いやいやいやいや、まだまだ丸坊主にするには早いですよ。でも意思は固いようなので、短くしますけど、ちょっと上を残した坊主にしますよ。ってことで、丸坊主ではありませんが、坊主っぽくしました。すっきりしました!

 

禁煙(追記)

 現在禁煙継続中。4時間。手持ちの電子タバコスティックの最後を吸って、禁煙を開始しました。とはいえ、昔買ったベイプを復活させ、ニコチン無しの水蒸気の煙で口寂しさを紛らわしています。そういう禁煙もあるみたいです。ニコチン中毒からの脱却をめざせばよい、らしい。

 なぜ禁煙を思い立ったかというと、正月開けの人間ドックで高血圧と腎臓不調が指摘され、タバコやめたほうがよいですよ、と言われたのがきっかけといえばきっかけですかね。再検査が必要だけども、1ヶ月ほど生活習慣を見直した上で、とのことで、毎日血圧を測り、麦茶を意識的に飲み、禁酒日を週に2日設けたりはしたのですが、禁煙はしませんでした。

 で、おととい、ようやく再検査に行きました。高血圧は相変わらずでしたが、腎機能は正常になっていました。麦茶を意識的に飲んでいたのがよかったのだろう、とのことです。血管もおもったより柔軟で年相応、肺も綺麗、心臓も肥大していないということで、高血圧に関連する臓器の異常は今のところ大丈夫とのことです。とはいえ、お医者さんのいうところでは、年齢的にもそろそろタバコをやめる時期に来ているのではないか、タバコのニコチンで血管が収縮し、高血圧になれば必ず臓器に影響がある、タバコを吸って健康はあきらめたほうがよい、とのことです。今、日本ではタバコ吸っている人が病院に来たら禁煙を積極的に勧めることになっている、タバコが原因の病気にかかると保険支払いが高いから!とのことでした。なぜか、そのときは素直に、あーそろそろやめ時かな、と思いました。

 ふと頭をよぎる、禁煙した友人たち。あー、あの人もあの人も、あの人もあの人も、気がついたらタバコやめてたな。1月上旬、アメリカから帰国して東京後泊の時に卒業生たちと飲みました。やはり一人禁煙成功者がおりまして、禁煙アプリを教えてもらっていたのでした。そのアプリではスピリチュアルな?禁煙の意識改革を促す文章が読めて、禁煙を開始したら時間カウントとともに、いくら得したとか、どんな体の状態になったかとかが確認できます。まさか使う日が来るとは思ってませんでした。

 病院で禁煙を意識した時点で、まだ電子タバコスティックが二箱残っていました。よく言うのは決めたらその場で全部捨てろ!とか。もったいないですよね。卒業生に教えてもらったアプリでは、ちゃんとニコチンとの戦いが理解できたなら、最後の一本を吸ってから始めて良い、と書いてありました。結局ニコチン中毒から脱却し、二度とニコチン中毒に戻らない、この意識だけでよいようです。ニコチン無しベイプでニコチン中毒から脱却できるなら、使い倒そうと思っています。どうなるかわかりませんが、とりあえず、海外に飛行機でいくくらいは頑張ります。

 

(追記)なんだか順調です。3日目に突入。昨日は飲み会でしたが、吸わずに乗り切りました。これまでいつも同じコンビニでタバコを買っていて、顔見知りの店員さんは何も言わなくてもタバコを取ってくれていました。禁煙開始日、いつものように顔見知りの店員さんがタバコを取ろうとしているところを、「いや!今日はいいです。今日から禁煙です!」と禁煙宣言してしまいました。本日3日目もコンビニで、「禁煙どうですか?」と聞かれて、「意外と順調です。3日目の今が一番辛いですー」てな感じで、努力してますアピール!うざいおっさんです。とか、実は思ったより辛くない。なぜだろう?

ニコチンに頼らない、自然なドーパミンで喜びを感じたい!とかいう知識のおかげでしょうか?ニコチン中毒でいいことなんてほんとないですね。(と、信じて生きている、今のところ)

 

卒業生の結婚式

 祝日を挟む前後含め、2泊3日で宮崎に行ってきました。卒業生の結婚式でした。

 とりあえず、初日はホテルに入ればよいということで、夕方6時ごろ宮崎に着くように行ったのですが、宮崎で有名なリゾートホテルに行く公共交通機関があまり多くなく、宮崎駅でタクシーを拾いました。

 タクシーの運転手さんとちょろちょろ会話して、今回は卒業生の結婚式で宮崎に来たというと、自然と私が大学の教員であることも伝えることになりました。

 すると、タクシーの運転手さんがどんどん話し始めるのでした。

「いやー、あれだね、歳をとると若い時にもっと勉強しておくべきだったと思うね。」

「私は中卒なんですよ。家業の大工になってね。足し算引き算掛け算割り算できればお金稼げたから別に高校なんて行かなくてもよいと思っていたんですよ。」

「不動産屋に転職してね、上司に気に入られて部長にまでなって。もう、いるだけでいいからって感じになって、毎晩飲み歩いてたもんですよ。」

 話はわかりやすくてオチもあり、頭の良さそうなおじさんです。私はやや自論でもあることを言いました。

「でも、大工には大工の勉強があって、不動産にしたっていろいろ勉強することありますよね。高校に行かなくても社会で学びつづけることになってましたよね。」

「やっぱりなんというか、才能なんですかね、大学生にしたって勉強のできる子できない子の違いはあります。運転手さんは、社会で学んでのし上がって、やっぱり才能があったんだと思います。高校行っても勉強できたと思いますよ。」

それなのに、である。なぜ、勉強しておけばよかったと思うのか。

 

続く

今年もまた卒論修論無事終了、高知龍馬マラソン

久しぶりのポストです。なんでか書く気が起こらんかった。

 

 毎年のことながら、今年も無事卒論修論が終わりました。今年は修論3名、卒論3名もおり、過去最大の規模でした。中には安心感のある子、まぁなんとかなるだろうという子、おいおい大丈夫かという子がおり、特に最後のグループの子のことでやっぱり気を揉むことになるんですね。でも、まぁなんとかなるのは毎度のことで、気を揉むのは取り越し苦労なのですが、気を揉むんですよねぇ。なぜでしょう?長年やっているが、謎は解けぬ。とはいえ、過去の先輩の資産やら、私の経験の蓄積などで省エネで最大成果を出す、効率化が図られていると思います。それでなんで気を揉むことになるのか?相手のあることですし、私もおっさんですが人間ですので、毎年一様ではありませんね。何はともあれ、みなさん卒業・修了おめでとうございます。終わって、みんなで河原でバーベキューして、学生部屋でマリカゲーム大会やら飲み会やって、楽しく過ごしました。娘に鍛えられていたので、おっさんの私もマリカでそこそこ勝てました。

 

 で、日曜日。高知龍馬マラソン完走しました。3年ぶりの開催でした。いろいろ忙しく、あまり練習はできていませんでした。妻からは練習もしないでなぜ出ようとするのかと問い詰められました。ほぼ毎日のバドミントンで運動しているからか、たまに練習しても5キロはなかなかのタイムで走れていました。当日は研究室で唯一参加する学生と合流し、ブドウ糖と塩タブレットを分け与え、一緒に散歩してスタートに備えました。学生は一グループ上のタイムで申告しており、それぞれのグループ集合場所で待機。

 やや小雨が降り始める中、程なくしてスタート。瀬古さんや間寛平(おもろかった)、金さんなどのご尊顔を拝みます。数分のところで娘と妻の応援を受け、次第にランナーもばらけて、通常走行に移ります。アップルウォッチでキロタイムと心拍数を確認します。おっさんのペースではキロ7分で心拍数150をキープ。これでどこまで距離を伸ばせるかがポイントです。ほとんど練習してないけど。お尻の筋肉を使うように、脚を温存しながら。順調に10キロ通過。おー、こらまだまだいけるぞー、このまま30キロ行っちゃったらすごいタイム出るぞー、とか毎回思います。アホです。案の定、15キロで絶望感が沸々と湧いてきます。あと27キロ?ありえん。いかんいかん考えるのをやめろ、1キロ1キロ着実に。28キロくらいまでこの調子で行けたらラッキー。18キロ通過。3年前はバドミントンで痛めた足をおして出ていたため、もうここから歩いちゃっていたのですが、今年はそれを超えました。20キロ手前で浦戸大橋の上り坂!上りは完全歩きです。ですが、下りで走り始め、22キロくらいまで行きました。3年前はここで無念のリタイアでしたが、無事通過。で心が折れて歩き始めました。ここまでキロ7分代ペースをキープしてました。

 歩いては走り歩いては走りを繰り返し、しばらくキロ8分台。次第にキロ9分台に。その頃は考えるのを本当にやめて、100歩歩いたら30ブレス走る機械になると決めたのですが、それも長くは続かず、ついに残り4キロで走れなくなりました。歩くだけで足痛い。どうも左足の小指の爪が割れているようだ。右足の薬指の下も皮剥けてっるっぽい。調子こいた厚底シューズの薄いカバーが足首の下に食い込んでいる。ついに4キロを歩き通し、ゴールの陸上競技場に突入。カーブを曲がって最後の直線だけ気力で走り、ゴール!5時間54分でした。9年前の5時間41分がベストで、リタイア含め5回の出場の中で3番目の記録でした。年取った割に悪くない。

 私の半分ほどしか背のないおばぁちゃんに抜き抜かれつのデッドヒート(非常に遅い)。結局最後は追いつけず、感動しました。沿道の応援、飲食の配給、ブラスバンドの音楽、折れた心にグサグサ刺さりました。ありがとうございました。

 翌月曜日は流石にバドミントンは休みましたが、火曜日は痛みの残る中でもできました。今日水曜日は明日の卒業生の結婚式のために宮崎へ移動中の伊丹空港ラウンジでビール飲んでます。あーうまい。