ニュージーランドで研究航海

 二月は慌ただしく過ぎまして、二月下旬から1週間ほどの期間、ニュージーランドへワークショップと野外巡検に行ってきました。ワークショップは北島のウェリントンでありました。口頭で研究発表いたしました。まま、楽しかったです。その後、南島へフェリーで移動しレンタカーを借りて、カイコウラ周辺の地震による地形変動を観察しました。2年前にお世話になったティム教授ともそこで再開しました。彼らは1週間におよぶ野外調査実習を行っており、20名ほどの学生も一緒でした。ドイツの時のように先生たちは学生たちに質問しながら説明を行っていましたが、ドイツの学生よりは反応が鈍かった印象です。我々が合流したのは野外調査実習の最終日で、その前に行っていた調査の結果を割り当て地域の学生がみんなに説明するという形が斬新でした。しっかり説明できていました。

 カイコウラ地震は2016年の11月に起こった地震で、南島の北縁あたりの横ずれ断層が地表で12mほどすべって起きました。地滑りが各地で発生し、ダム湖を作って下流の家々を危険に晒したとのことです。ですが人口密度が低い地域だったからか被害という意味ではそれほど大きくなくて、日本ではあまり取り上げられていなかったと思います。

 で、無事巡検を終えて土曜日に帰国。さみしいかな高知に戻れず、一泊東京トランジット泊でした。そのタイミングを見計らって、今回は20年ぶりくらいの大学時代の友人たちと東京駅付近で飲みました。みんなほとんど変わってなくてびっくりしました。あの時あんなこと言ってたよねー、え、そんなこと言ってたの覚えてないわー、とか言い合って、ものすごい楽しかったです。若い時の友人はいいものですね!

 東京一泊明けて、日曜日に高知に戻りました。また納豆ご飯の朝食に戻りました。うめー!!月曜と火曜でいろいろ雑用をこなし、日本滞在3日ちょい。明日またニュージーランドへ発ちます。これまで何度も言っていましたが、今度は2ヶ月間の乗船研究です。ニュージーランド北島東沖のヒクランギ海溝(トラフ?)の海洋掘削プロジェクトに参加します。ほぼ定期的な2年おきにスロースリップが明瞭に計測されている場所で、海溝先端まで滑っているのではないか?と思われているところです。その物質はなんなのか?本当に海溝先端まで滑っているのか?深部のメインで活動しているところはどのような物質が期待されるのか?また掘削孔に長期観測機器を埋め込む作業も行います。

 年度末と年度始めの忙しい時期に不在にいたしますので、またまた同僚の方々には感謝感謝です。大変ありがたいです。

 船にはテレビ電話システムがあり、家族と連絡を定期的に取ろうと思います。

 とにかく楽しみです!

2月になりました

 あっという間に1月が終わり、2月に入りました。

 明日、米国のポスドクがやってきて、3週間かけて、忙しい同僚の助けを借りて分析試料の作成と前分析を行う予定です。私もできる範囲で手伝います。彼の招聘は私のプロジェクトの一部で、飛行機代だけ負っております。

 彼の帰国の翌日に、私もニュージーランドに出発です。9日間ほど。で一旦帰って来て、また3日後にニュージーランド。これは研究航海で2ヶ月間です。帰国は5月の頭。

 この2月が勝負です。会議が四つ、高知の飲み会がいまのところ三つ(プラス東京トランジットで一回と最初のニュージーランドでオフシャル一回)、あと来年度の卒論関連でちょろちょろ、の中、なんとか論文を一本書きたいなー。全く進んでいませんが。

 前の土日は愛媛の松山へ行って来ました。日曜日に愛媛の高校生のサイエンス研究発表会がありまして、審査員をやりました。当初依頼された先生が都合が悪くなって代打です。ついでに前日入りして、ばぁちゃん、おじさん、おばさん、いとこのところに泊めてもらって、一杯やりました。いい機会をいただきました。鶏肉のうまい居酒屋に連れて行ってもらいました。鶏肉もよかったし、最後の出汁茶漬けが最高でした。

 で、本番の審査。200名ほどの高校生と40ほどの研究発表があつまりまして、盛大に行われました。朝10時から15時過ぎまで、昼休み挟んで延々と発表を聞き続けました。だいたい一件15分程度。審査は私を含めて6名が一般部門の27件を担当しました。10分程度で発表を聞いて、5分ほどの質疑応答。審査項目に質問の理解力と適切な回答という項目があり、なんか質問しないといけないなぁと思ってとりあえず最初に手を挙げるのですが、なんと場合によっては高校生が私と同時に手を挙げます。

高校生「あ、すいません」

私「いやいやいやいや、どうぞどうぞどうぞ」

と、高校生に質問を促します。すばらしいことです。引っ込み思案な日本人はどこにいったのかな?こういう場で質問のない学生は高知大にいっぱいいる。今回の発表会では発表する高校生は自分の研究を愛して止まず、おもしろさを伝えようとする姿勢がすばらしかったです。聞く方の高校生も鋭い質問をばしばしやって、議論が活発でした。日本の未来は明るいですよ。

 とはいえ、どうなのかとは思うけども、研究って楽しいばかりではない、とか彼らにいうべきかどうか。専門性が進むと、本当に誰も知らない世界が分かって来る。そこが研究者としての始まりですね。じゃ、何を知るべきなのか?どうやって知るのか?その理解がどれほどすばらしいことなのか?そういう研究設計を自らできるようになるには、あと10年くらいかかるんじゃないかな?私なんか博士とってもできませんでしたよ。

 研究者にならなくても、そういう目的の発見、人へのアピール、他人を巻き込む力というのは社会のリーダーとして重要なスキルだと思います。そういうの伝えたいのだけれども、言うのも無責任だと思わなくもない。こういうの言う必要なくって、自分の経験で掴み取るものなのかもしれないですね。だって、そう言うスキルを身につけるのが大切だと言ったって、どうやるかは具体的に言えないもんね。とにかく知的好奇心によってチャレンジしつづけるだけでいいんだよ、といえばよい、かな。 

 

センター試験監督

 ちょっと遅くなりましたが、センター試験無事に終わりました。私は当初二次試験の担当だったのですが、すっかり忘れて海外出張を入れてしまい、青ざめました。あわててなんとかセンター試験担当の先生と代わっていただけました。助かりました。

 今年のセンター試験の地理でムーミン谷がどこの国にあるか?という問題がでて話題になりました。答えはフィンランドとのことですが、必ずしもフィンランドと決まっているわけではないという反論が出たり、フィンランド大使館が「あなたの心の中にあります」と言ってみたり、趣深いやり取りがありました。

 私は80名程度の部屋を担当しました。社会系1科目、理科2科目の理系部屋でした。やることは主任監督の言い忘れ確認、問題用紙・解答用紙配布、写真表チェック、トイレの誘導(部屋の外まで。そこから室外連絡員に渡す)、答案回収、枚数チェック、などですね。一応タイマー係の副主任監督がいるのですが、私も時間をチェックしています。リスニングテストでは機器配布、機器回収もやります。社会系、理科2科目、リスニングテストでは配布物が多いので、補助監督が2名追加でつきます。基本4名、追加2名といった感じです。科目によっては第二外国語希望者がいたり、リスニングでヘッドフォン希望者がいたりして、配布物が変則的になることがあります。

 試験監督は事前研修を3時間程度受け、マル秘の監督進行マニュアル(分厚い)を熟読します。作法やら不測の事態への対応が事細かに書かれています。トイレに受験生を誘導するときには問題用紙を伏せて答案の上に置く、机の上において良いもの以外が置かれていないかチェック、火災や地震の時、鼻血、嘔吐の対応なども書かれています。問題に訂正があったとき、不正が疑われる行動とか他にもいろいろありますね。当日になって咳が止まらない子のための急遽の別室受験部屋とそれに即応する監督も準備されています。いろいろ気を使います。

 初日は朝の8時半集合からの夕方6時半くらいまで、二日目は終わりが夕方6時前くらい。初日は社会系1科目受験の部屋だったのでいきなり1時間ほど休憩、二日目は理科基礎科目のない部屋だったのでいきなり2時間ほど休憩がありました。他は昼休みが40分程度、あと科目ごとの間に10分休憩のみ。理科2科目がなくて二日目数学終わりで3時前には終わる部屋とかもあります。

 日本全国50万人ほどの受験生が同時に受けるセンター試験。会場となる大学では、教員、事務職員の多くが担当します。すごいシステムです。受験生の皆さんお疲れ様でした。

 ちなみに私が受けた時はセンター試験2回目か3回目の時でした。お昼にポカリスウェットを飲んだら午後の数学でトイレに行きたくなって、1問目解いたところで、トイレに行きました。確か当時は監督官がトイレまでついてきたような気がします。そしたら、その監督官まで小をいたしはじめまして、これが長いのなんの。いたし終わるまで待たされました。で、その数学が例年よりも難しくなっていて、模試の時は時間が余って100点取れるような勢いだったのが、ギリギリまでかかって終わりの合図で最後の問題をばばばっとマークしたら、解答番号が一個ずつずれてて何点か損した思い出があります。です。

2018年

 年が明けて随分経ってしまいました。新年の挨拶をするタイミングを逸したまま、近況を書きましょうかね。

 年末年始は妻と自分の実家でのんびり過ごしました。お酒飲みすぎですね。昨年12月中旬の米国出張からの連続でしたので、ほんと飲みすぎです。頭が悪くなっております。

 新年には心新たになにかしら目標なりを立てるものなのかもしれませんが、今年はそんな気分もなし。一つは、ドイツののんびり生活に毒されたからかもしれないですね。ドイツののんびり生活というと、ナマケモノのように聞こえてしまうのですが、そうじゃなくて、ヨーロッパの文化哲学的な歴史というか、多様性を広く受け入れるというか、そういった日本人がなぜかソワソワして慌てているような感覚とは違った、穏やかな日々のことを「のんびり生活」といっているのです。ま、私の実際はナマケモノかもしれないです。最近区別がつかなくなってきました。

 もう一つは、すでに今年は忙しいことが明らかなため、頑張ろうと思う必要がないからかもしれないです。2月には米国から3週間ポスドクを受け入れ、2月下旬にニュージーランドでワークショップ、3月上旬にニュージーランドで乗船研究2ヶ月、5月学会、6月学会、9月学会、11月もしかしたらまた短期で乗船研究、そのたもろもろ通常業務、昼休みのバドミントン(このために学校に来ているといっても過言ではない)、卒論生は5人。ということで、ま、多分大変です。どうにかしてドイツののんびり生活をキープしようと思っております。肝はソワソワ慌てないことです。

 ということで、今年の目標はソワソワ慌てないことにしようと思います。書いてて、あ、これが目標かな、と思いました。

 それでは、みなさんも心穏やかに毎日を過ごされますよう。本年もよろしくお願いいたします。

AGU at New Orleans

 今年も行ってまいりました米国地球物理学会(American Geophysical Union Fall Meeting)。例年ですとサンフランシスコなのですが、会場の改修工事に入ったとのことで、今年はニューオリンズ、来年はワシントンDCになっております。ニューオリンズは古く歴史のある街とは聞いていたのですが、歴史も観光地も何にも調べずに行きました。

 今回はガビーの指導教員のドンと今後の研究打ち合わせの昼食会、別件の共同研究をしているジョンやそのボスだったティムと飲み会(ガビーも一緒)、昔ウィスコンシンにいた時に学生だったマットとジョーとそのボスだったハロルドとの昼食、はたまたウィスコンシン時代のポスドクとばったり再会、去年のドイツの受け入れ教員だった人と夜のパーティーでの再会、などなど、かなり充実した学会でした。飲みすぎました。学会本体では研究上の収穫は少ない印象です。私の分野では日本のほうが進んでる感じがしました。

 ウィスコンシン時代のマットとは10年ぶりくらいの再会です。ニューオリンズで石油メジャーで働いていて、学会会場から歩いて5分くらいの場所にオフィスがあるとのこと。若々しいままでした。相変わらず思慮深い話ぶりで10年のギャップを全く感じませんでした。

 ニューオリンズはフランス人が開拓した街で、新しいオルレアンという意味だそうです。北海道の新広島みたいなものかな?それを聞いて、ダウンタウン中心ブロックはフレンチクオーターということに合点がいきました。ハリケーンカトリーナの被害がまだ記憶に新しいところであります。ハロルドのいとこがニューオリンズに住んでいたが、カトリーナでサンフランシスコに移住して、長いこといたんだけどようやくニューオリンズに帰ってきたとか。多くの人が外への移住を余儀なくされて、多くの人が戻っていないとのことです。街中は音楽で溢れていました。ジャズ発祥の地としても有名ですが、ロックっぽい音楽が多かったですね。

 さー、これから年末に向けていろいろやることが多いのです。ドンのポスドクを2月にこちらに呼ぶ予定で、急いで手続きしないといけない。リジェクト続きの論文も早々に書き直して投稿したい。乗船前に来年の学会の要旨を提出しないといけない。これは、乗船研究の速報をする予定なので、乗船研究者と事前の調整が必要です。出張報告関連書類の処理、物品購入書類の処理もまだまだいっぱいあるな。会議、入試説明会、授業もまだあります。大掃除する暇あるかな。バドミントンはやります。