センター試験監督

 ちょっと遅くなりましたが、センター試験無事に終わりました。私は当初二次試験の担当だったのですが、すっかり忘れて海外出張を入れてしまい、青ざめました。あわててなんとかセンター試験担当の先生と代わっていただけました。助かりました。

 今年のセンター試験の地理でムーミン谷がどこの国にあるか?という問題がでて話題になりました。答えはフィンランドとのことですが、必ずしもフィンランドと決まっているわけではないという反論が出たり、フィンランド大使館が「あなたの心の中にあります」と言ってみたり、趣深いやり取りがありました。

 私は80名程度の部屋を担当しました。社会系1科目、理科2科目の理系部屋でした。やることは主任監督の言い忘れ確認、問題用紙・解答用紙配布、写真表チェック、トイレの誘導(部屋の外まで。そこから室外連絡員に渡す)、答案回収、枚数チェック、などですね。一応タイマー係の副主任監督がいるのですが、私も時間をチェックしています。リスニングテストでは機器配布、機器回収もやります。社会系、理科2科目、リスニングテストでは配布物が多いので、補助監督が2名追加でつきます。基本4名、追加2名といった感じです。科目によっては第二外国語希望者がいたり、リスニングでヘッドフォン希望者がいたりして、配布物が変則的になることがあります。

 試験監督は事前研修を3時間程度受け、マル秘の監督進行マニュアル(分厚い)を熟読します。作法やら不測の事態への対応が事細かに書かれています。トイレに受験生を誘導するときには問題用紙を伏せて答案の上に置く、机の上において良いもの以外が置かれていないかチェック、火災や地震の時、鼻血、嘔吐の対応なども書かれています。問題に訂正があったとき、不正が疑われる行動とか他にもいろいろありますね。当日になって咳が止まらない子のための急遽の別室受験部屋とそれに即応する監督も準備されています。いろいろ気を使います。

 初日は朝の8時半集合からの夕方6時半くらいまで、二日目は終わりが夕方6時前くらい。初日は社会系1科目受験の部屋だったのでいきなり1時間ほど休憩、二日目は理科基礎科目のない部屋だったのでいきなり2時間ほど休憩がありました。他は昼休みが40分程度、あと科目ごとの間に10分休憩のみ。理科2科目がなくて二日目数学終わりで3時前には終わる部屋とかもあります。

 日本全国50万人ほどの受験生が同時に受けるセンター試験。会場となる大学では、教員、事務職員の多くが担当します。すごいシステムです。受験生の皆さんお疲れ様でした。

 ちなみに私が受けた時はセンター試験2回目か3回目の時でした。お昼にポカリスウェットを飲んだら午後の数学でトイレに行きたくなって、1問目解いたところで、トイレに行きました。確か当時は監督官がトイレまでついてきたような気がします。そしたら、その監督官まで小をいたしはじめまして、これが長いのなんの。いたし終わるまで待たされました。で、その数学が例年よりも難しくなっていて、模試の時は時間が余って100点取れるような勢いだったのが、ギリギリまでかかって終わりの合図で最後の問題をばばばっとマークしたら、解答番号が一個ずつずれてて何点か損した思い出があります。です。

2018年

 年が明けて随分経ってしまいました。新年の挨拶をするタイミングを逸したまま、近況を書きましょうかね。

 年末年始は妻と自分の実家でのんびり過ごしました。お酒飲みすぎですね。昨年12月中旬の米国出張からの連続でしたので、ほんと飲みすぎです。頭が悪くなっております。

 新年には心新たになにかしら目標なりを立てるものなのかもしれませんが、今年はそんな気分もなし。一つは、ドイツののんびり生活に毒されたからかもしれないですね。ドイツののんびり生活というと、ナマケモノのように聞こえてしまうのですが、そうじゃなくて、ヨーロッパの文化哲学的な歴史というか、多様性を広く受け入れるというか、そういった日本人がなぜかソワソワして慌てているような感覚とは違った、穏やかな日々のことを「のんびり生活」といっているのです。ま、私の実際はナマケモノかもしれないです。最近区別がつかなくなってきました。

 もう一つは、すでに今年は忙しいことが明らかなため、頑張ろうと思う必要がないからかもしれないです。2月には米国から3週間ポスドクを受け入れ、2月下旬にニュージーランドでワークショップ、3月上旬にニュージーランドで乗船研究2ヶ月、5月学会、6月学会、9月学会、11月もしかしたらまた短期で乗船研究、そのたもろもろ通常業務、昼休みのバドミントン(このために学校に来ているといっても過言ではない)、卒論生は5人。ということで、ま、多分大変です。どうにかしてドイツののんびり生活をキープしようと思っております。肝はソワソワ慌てないことです。

 ということで、今年の目標はソワソワ慌てないことにしようと思います。書いてて、あ、これが目標かな、と思いました。

 それでは、みなさんも心穏やかに毎日を過ごされますよう。本年もよろしくお願いいたします。

AGU at New Orleans

 今年も行ってまいりました米国地球物理学会(American Geophysical Union Fall Meeting)。例年ですとサンフランシスコなのですが、会場の改修工事に入ったとのことで、今年はニューオリンズ、来年はワシントンDCになっております。ニューオリンズは古く歴史のある街とは聞いていたのですが、歴史も観光地も何にも調べずに行きました。

 今回はガビーの指導教員のドンと今後の研究打ち合わせの昼食会、別件の共同研究をしているジョンやそのボスだったティムと飲み会(ガビーも一緒)、昔ウィスコンシンにいた時に学生だったマットとジョーとそのボスだったハロルドとの昼食、はたまたウィスコンシン時代のポスドクとばったり再会、去年のドイツの受け入れ教員だった人と夜のパーティーでの再会、などなど、かなり充実した学会でした。飲みすぎました。学会本体では研究上の収穫は少ない印象です。私の分野では日本のほうが進んでる感じがしました。

 ウィスコンシン時代のマットとは10年ぶりくらいの再会です。ニューオリンズで石油メジャーで働いていて、学会会場から歩いて5分くらいの場所にオフィスがあるとのこと。若々しいままでした。相変わらず思慮深い話ぶりで10年のギャップを全く感じませんでした。

 ニューオリンズはフランス人が開拓した街で、新しいオルレアンという意味だそうです。北海道の新広島みたいなものかな?それを聞いて、ダウンタウン中心ブロックはフレンチクオーターということに合点がいきました。ハリケーンカトリーナの被害がまだ記憶に新しいところであります。ハロルドのいとこがニューオリンズに住んでいたが、カトリーナでサンフランシスコに移住して、長いこといたんだけどようやくニューオリンズに帰ってきたとか。多くの人が外への移住を余儀なくされて、多くの人が戻っていないとのことです。街中は音楽で溢れていました。ジャズ発祥の地としても有名ですが、ロックっぽい音楽が多かったですね。

 さー、これから年末に向けていろいろやることが多いのです。ドンのポスドクを2月にこちらに呼ぶ予定で、急いで手続きしないといけない。リジェクト続きの論文も早々に書き直して投稿したい。乗船前に来年の学会の要旨を提出しないといけない。これは、乗船研究の速報をする予定なので、乗船研究者と事前の調整が必要です。出張報告関連書類の処理、物品購入書類の処理もまだまだいっぱいあるな。会議、入試説明会、授業もまだあります。大掃除する暇あるかな。バドミントンはやります。

バドミントン復帰

 肉離れを起こしてから1ヶ月。歩くぶんには1.5週間目くらいからほぼほぼオッケーだったので、これならすぐ復帰できるかなと思っていたのですが、そこからだらだらーっと鈍痛が引かないような感じでした。三週間目、道を歩いている時に走れるかなーと思って軽くジョグしてみたところ、結構な痛みが走り、これはダメだ、ということで、また一週間待ちました。トータルでまるまる四週間です。

 昨日、試しに宿舎の敷地内で娘とバドミントンをしてみたら、めちゃくちゃな方向に打ってくるシャトルを動きつつ取っているうちに、あれ、いけるなー、ということで、本日久々にバドミントンに復帰いたしました。

 先週から日曜日にかけて行われていたバドミントン全日本総合を黙々と見て、イメージトレーニングはばっちりでした。すごい上手くなっているようなイメージで復帰したのですが、まったくそんなことはなく、いつものようにスマッシュは取れない、ネットぎわは間に合っているのに取れない、相手がスマッシュ打つ前に動いてしまう、など、同じような反省の繰り返しでした。ちょっと進歩したと思われる点は、相手の返球予測が良くなったような気がするところです。

 11月はあっという間に過ぎましたが、何をするでなく、非常にのんびり過ごしました。英語のレビュー論文二本をだらだらと対応し、細かな事務書類、ちょっとした授業などですかね。

 今月は来週から毎年恒例の米国地球惑星物理学会に一週間ほど行きます。例年サンフランシスコなのですが、いつもの会場が改修に入り二年間使えないということで、今年はニューオーリンズ、来年はワシントンDCだそうです。ニューオーリンズはシカゴ経由です。遠いですわ。

 二月下旬にワークショップでニュージーランドに一週間強、三月上旬に海洋掘削プロジェクトでニュージーランド沖に2ヶ月です。大変楽しみです。

右ふくらはぎ肉離れ

 昨日、いつもの昼休みのバドミントン中のことでした。こっちが得点したのか相手の得点だったか定かではありませんが、とにかく激しく動いている最中ではなくて、サーブ前のポジションまで歩いているようなのんびりしている時に、右ふくらはぎにぬるっとした打撲感がありました。最初はパートナーのラケットが当たったのかと思いましたが、その方も気がついていないのか、何も言いません。で、試合を続行していると、どんどん痛みが増加していきます。内側から。あれー、おかしいな、ラケットがあたったくらいでこんな痛みがくるはずないな。と、自分の勘違いであったことに気がつきました。打撲感を感じてから2ポイント目くらいに、あー、これはもうダメだ、ということで、順番待ちの他の方を呼んで、代わってもらいました。よく腱が切れる時はブチッというと聞きますが、この時はほんとヌルッといった感じです。イメージは硬めのゼラチンが引っ張って切れた瞬間というか、やらかめのゴムがプルンッと切れるような感じですかね。最初は大したことないと思っていたのですが、歩こうとすると痛みが走り、時間とともにどんどんその痛みが増していきました。

 バドミントンを不完全燃焼のまま終えて、部屋に戻りしばらく書類仕事をして、ちょっと席を外そうとした時、ますます痛みが増加していることがわかりました。これはやばい。じっとしている分にはまったく痛くない。足首を上に曲げると痛い。幸運なことに足首を下に曲げることはできます。これは、バイクに乗れそうだ。大型バイク並みのアメリカン(実際は400ccの中型ですが、車体重量は200Kgオーバー)。バランス崩しても足つけないな。

 ということで、バイクに乗って病院へ行きました。バイク置き場へ行くまでも大変。いった病院の整形外科はほとんど客がおらず、すぐ呼んでもらって先生に診てもらうと、1分もかからず

「肉離れですね」

との診断でした。

「湿布出しときますから」

「何にも治療できないですね」

「二週間くらいで痛みが引くでしょう」

「1ヶ月はバドミントンしないほうがいいですよ。復帰するときも爪先立ち繰り返して様子見ながら」

とのことでした。うーん、さみしい。

 帰宅中、ドラッグストアに寄ってホエイプロテインを購入しました。傷んだ筋肉の修復の補助になるのではないか、との淡い期待からです。一応お医者さんにもこのアイデアの効果を質問したのですが、プッと鼻で笑われました。曰く、

「かもしれないですねー(笑)」

 夜もますます痛みが増して、妻に杖を買ってきてもらいました。百均で150円。茶色のおっさんくさいやつ。

 寝ようと布団へ向かうも布団の上を歩けない。柔らかい物の上ではバランスを取るために色々な筋肉が複雑に連動していることが分かりました。やむなく布団の端で横になり、枕のあるところまでゴロゴロ転がって行きました。

 朝起きると、ますます痛みが増加している様子。湿布を貼り代えてやや痛みが引いた気がする程度です。

 今週末はバイク同好会のツーリングが予定されているのですが、痛みと相談しながら参加を決めたいと思います。