北海道胆振東部地震:札幌で旅行者被災メモ1

 台風21号を避け先週9月3日(月曜日)に札幌入りしました。9月4日(火曜日)夕方の共同研究打ち合わせと業界情報交換、9月5日(水曜日)地質学会の午前中の発表のためです。9月4日(火曜日)高知発の当初予定していた便は予想通り欠航。台風は9月4日深夜に札幌に暴風雨をもたらしましたが、夜のうちに一気に通り過ぎて9月5日(水曜日)の地質学会は無事開催されました。

 9月6日(木曜日)深夜、大通り付近のホテルの12階、ベッドで就寝中に地震発生。縦揺れの時点で目覚める。長い縦揺れの後、ゆったりとした横揺れ本震が長時間続く。震源地は遠いと判断。ホテルの内線アナウンス。地震が発生したが建物には耐震設備があり問題ない、とのこと。部屋に被害まったくなし。数分後停電。非常電源に切り替わり、常夜灯のみとなる。

 翌朝7時ごろ?昨晩に買っておいたパンとコーヒーで朝食。停電継続中。天候は晴れ。気温は20度より低い程度。ガラケーワンセグNHKを見て情報を得る。周囲の信号機は停止中。スマホツイッターなどでも情報収集。家族グループラインに無事を報告。

 セブンイレブンのレジが動いている。コンビニに長蛇の列。信号機が動いていないので不要不急の外出は避けよ。世耕大臣が2時間で電力回復しろと北電に指示。

 この時点で飲食料はサッポロクラッシク500ml、ピリ辛ベビースターラーメン(昨夜追い酒しようと買ったが疲れて寝ちゃった残り)とカリカリ梅一袋、バッテリーはフル充電済みのモバイルバッテリーと母艦のMacBook Proに85%、ホテルの水は出る。現金は4万円ほどあった。すぐ電力回復するかもと、様子見を決め込む。

 ホテルの非常電源があと30分で切れるとの放送。スプリンクラーなど防火設備も止まるので部屋で火を使うなとのこと。英語でのアナウンスも良かった。

 9時ごろ、停電継続中。ツイッターで電力回復に2、3日かかるかも、という根拠のない情報発見。しかし可能性として否定しないほうがよいと判断。ホテルのバスタブに水を貯める。その後、苫東厚真火力発電所の不具合が発覚し修復の見込みなしとの情報。

 外出して食料の確保に動く。12階から階段で降りる。5階くらいから下は窓がなく非常灯もない真っ暗な危ない階段だった。初期はホテルの懐中電灯が置いてあったが、数時間でバッテリーが切れたのか、なくなっていた。

 目の前のローソンがやっている。(多分バッテリー駆動の)バックヤードのハンディ端末による会計。一人4点までとの制限。リンゴジュース1リットル、カップラーメン3つを購入。カップラーメンは多く残っていた。水カップ麺にチャレンジするつもりで購入。

 大通公園反対側のセブンイレブンも空いていた。すぐ飲む用のジュースとカップ麺、チョコレートなどを購入。ここは点数規制していなかったが、なんとなく4点のみ。レジの人によると、午前中でレジのバッテリーが切れそうとのこと。電子マネーで決算できた。

 この時点でだいぶ気が楽になる。2日くらいは停電でもホテルでやっていけそう。

 大通公園のベンチで休憩。札幌北区に住む兄に電話。無事とのこと。停電のみ問題。水ガスあり。長引きそうだったらお世話になるつもりと伝えた。

 大通り付近では11時くらいにスマホの通信状況が悪くなり、昼前には切れた。スマホ電波塔のバッテリーが切れるとの情報があったなぁ。学会の情報が取れなくなる。停電ならやらないはず。

 ホテルに戻ると断水。危なかった。水カップ麺を食べる。

 引き続きガラケーワンセグで情報収集。スマホは電波が通じなくなったがガラケーは電話もできた。妻と電話。ガラケーいいわ。苫東厚真以外の発電所から融通し、今日中に240万キロワット程度回復する見込みとのこと。

 3時ごろ、また買い出し。向かいのローソンはハンディ端末がバッテリー切れで、紙ベースで会計やっていた。ありがたい。飲み物とチョコレートを買う。

 周辺を歩くと北1条あたりで信号回復していた。日本経済新聞のビルのファミマは煌々とやっていた。他の人に回したほうが良いと思い、何も買わなかった。ビルロビーでテレビ放映とスマホの充電サービスをやっていた。

 ホテルに戻り、引き続き情報収集。すると、ホテルマンが部屋までやってきて曰く

「一旦お客様全員には下に降りていただいて、キャンセル処理をさせていただいております。」

という、責任放棄のお言葉。

「電源が回復すれば、炊き出しは行います。」

「電気も水も止まっていますので、お客様に不便をさせてしまう。」

「ロビーにいるのは構わないが特に次の誘導の予定はない。」(すでにロビーは人だかり)

「本日夜と明日は営業停止を決めており、2階以上の客室には責任を取らない」

とかいう。

こちらは2日くらいは停電断水のホテルでやっていくつもりだったので、

「水もためてあるし、食料も確保した。自分の部屋にいるのがもっとも安心でストレスがない。ロビーで待たせるとかおかしい。とにかく出ていけということか?」

と問うと、ホテルマン曰く

「わかりました、上のものと相談してきます。」

といって折れていった。最後のこの一言まで結構上記のことを繰り返しやりとりした。

 こんなホテルにはいないほうがよいと思い、兄の家に転がり込むことにした。日没が迫っており、移動するなら日のあるうちがよい。兄に電話するも通じない。電波が切れているのかもしれない。

 とにかく暗くならないうちに移動するべき。兄と連絡がつかないが行くだけ行くことにした。もし兄と会えなくても隣に小学校があるので避難所に入れると考えた。

 兄の家までは徒歩40分ほどである。

 タクシーは予約を表示して走っており、全く捕まらない。駅前に出るとタクシーを待つ長蛇の列。タクシーを諦めて歩く。駅で偶然知り合いの研究者と遭遇。駅前のホテルは夕方に電力回復したとのこと。食料ちょっとおすそ分けした。

 北13条あたりで札幌の友人からガラケーにSMS。返信するも届かなくなっていた。ガラケーの電波が切れる。その後すぐに偶然流しのタクシーを捕まえた。もうちょっとのところだったのだけれども、食料と着替えと仕事道具を抱えて歩いていて心が折れかかっていたので助かった。すぐ兄のマンションに着く。

 非常階段の入り口に鍵。偶然住民と出くわして、中に入れてもらった。兄の家のドアを叩くもしばらく反応なし。まさか避難所行ったかな?と思ったところで、出てきてくれた。兄はバッテリー節約のために機内モードにしていた。通じるわけない。

 お湯を作ってもらってあったかいどん兵衛を食べる。ガラケーは通話電波は切れたが、ワンセグは見れる。なぜか北区はスマホの電波が通じた。

 持ち歩いていたサッポロクラッシックとチョコレートで晩酌。スマホのライトに水を入れたペットボトルを置いてランタン。で寝た。

 翌朝、兄の家では電気回復。北区の回復はまだら模様とのこと。

 

つづく