今年もまた卒論無事終了

 2月半ばは卒論の季節ぅう。

 昨日、無事卒論発表会が終わりました。みな、大変良かったです。何が良かったかというと、最後の成長の勢いですね。私自身、半分あきらめ入ってるところもあったのですが、なぜか最後はちゃんとできるという感じでした。

 ここ数年は超燃費指導しています。ある程度軌道に乗ったら私からあれしろこれしろ言いに行かない。学生が来るのを待っている感じです。来ないなら来ないで、自分のことやってます。そのほうが学生が自分で考えるようになって、社会のリーダーとしての経験を積めるような気がしてきました。卒論発表の最後の成長を見て、やっぱりちょっと放置ぎみがよいなと思いました。

 大学での学びとはなんでしょうね。指導教員が超燃費指導とか言っていいのか?放置とか、教員として怠けてんじゃないの?と思われる方もおられましょう。そうかもしれません。

 最後の成長ってどの辺で感じるものでしょうか?それはですね、私が言った論理をちゃんと学生が自分の頭で理解する、ということです。論理とは、ストーリーのことです。私が言えば伝わるようなものではないのです。なかなか聞いただけでは理解できないのです。自分で英語を読んだり、データを取ったり、計算したり、グラフを書いたり、それぞれのパーツがまずあります。そのパーツの定義、実験の手法の意味、物理次元、などなど、基本的に押さえておくべき知識があります。そのパーツがどのように論理的に組み合わさって、妥当な解釈へと導かれるのかの議論。これがストーリーですね。論理。これは、勉強ができるとかテストの点がよいとかとは別の次元です。キラリと光る自分らしさが現れます。

 テーマの重要性、そのテーマに関するこれまでの研究背景、その問題点の指摘、解決方法、基礎データの定義、紹介、議論、解釈、結論、という論理を理解して、12分で発表し、3分の予想外の質問に対応する。こういう学びは良いことではないでしょうか?

 最後の最後で卒論生はみなこれを自分の言葉で十分にやりました。ありがたいことです。