ドイツ滞在8ヶ月。オーストリア訪問で感じたヨーロッパの愛国心の謎

 ドイツに来て8ヶ月が過ぎました。とうとう残り4ヶ月。あっという間に過ぎそうです。

 11月は大変充実しておりました。失敗続きだった実験が嘘のように順調に進み、いいデータが取れました。実験が順調だったため放置中だった論文もほぼほぼ完成しまして、そろそろ投稿の運びです。月末にはオーストリアのグラーツという街へ行って、グラーツ大学でレクチャーしてきました。

 グラーツはウィーンから電車で2時間半くらいのところにあります。アルプス山脈の東端をかすめる位置です。電車から美しい山々を見ることができました。

 グラーツ大学は大陸移動説を唱えたアルフレッド・ウェゲナーが教員をやっていた大学で、地球科学者はちょっと興奮します。コスタリカの海洋掘削プロジェクトで一緒だったウォルターに春のヨーロッパの学会で一度遊びに行かせてくれと頼んだところ、レクチャー講師として招待していただけました。

 レクチャーには毎週異なる講師を招いているそうで、大学院生向けの学生の授業の一環のようです。招待講師は国際的に呼んでいます。レクチャーを行った教室は百年を超える伝統的な階段教室で、作りが厳かで見るからにありがたい雰囲気がプンプン漂っていました。ほんといい経験になりました。

 レクチャーの後ウォルターとその同僚とディナーに行きまして、いろいろ話ししました。興味深かったのがEUの大学入試?的な問題です。オーストリアの大学の入学は定員と希望者数と高校のときの成績で決まるそうです。医者とか薬学とかは結構人気があるそうです。問題はドイツ人にも、おそらくEUのすべての国の人に門戸が開かれていることです。ドイツ語圏であるためかドイツ人が容易に人気の分野に乗り込んでくるそうです。ドイツで希望の分野から漏れたときの駆け込み寺としてオーストリアの大学が利用されているとのこと。ドイツ人の駆け込み学生は学士だけやむなくオーストリアでとって、修士以降はドイツに帰っちゃうとのこと。このようなドイツ人のためにオーストリアの税金が使われている上に、オーストリアの学生にも不利益があることにやや不満を感じているようです。一方で経済圏としてのEUに大きなメリットを感じているようで、EUのルールだから仕方ない、といった受け止め方をしていました。

 オーストリアはハンガリーやドイツと連合を組んでいたこともあり、昔はちょっとした大国だったと思いますが、それが今では窓際国家的な扱い?なのでしょうかね。昔ほどの栄華を誇っている感じはないと思います。ころころ国境が変化してく複雑な歴史の中で、上記のような不満を感じる国民意識ナショナリズム)?はどのように形作られているのでしょうか?思い切って質問してみましたが、明瞭な答えはもらえませんでした。うーん・・・、どうなんだろうねー、って感じ。なんというか、高知県民的意識なのだろうか?オーストリアっていうのは県レベルというか国家よりも一段下のレベルのコミュニティーという意識。より大きな国家政府は膨張したり縮小したりしても、高知県民的なアイデンティティーが民族意識として一番強いのではないかなぁ。それが国境がころころ変わる大陸民の生きる知恵なのではないかと感じてきました。

 イタリアにもドイツ語圏の地方があって、それは昔の戦争でオーストリアからイタリアが奪った地域だそうです。そこに住んでいる人も経済的にはイタリアにいた方がいいみたい。でも心はその地域の民族なのでしょうか?州政府的なものが認められているようなことを言っていたような・・・。イタリア人としてのアイデンティティーは若者に広まっていて、次第に同化していくと考えられているようです。

 日本人というシンプルなアイデンティティーを持つことは大変特殊なことなのかもしれないです。

 

 今月は次の日曜日から米国地球惑星学会に1週間ほど出張です。