8月は過ぎてしまった

8月は脱兎のごとく過ぎ去りました。

気がつけば8月のこのアホ日記はゼロでした。無気力。

 

振り返ってみれば、8月は松山高校訪問、三波川帯巡検、帰省、三波川帯サンプリングなど、ままそれなりに充実してました。

 

三波川帯巡検では、東北大、筑波大、名古屋大、東大、高知大、JAMSTECといったメンバーが、それぞれ異なる専門的視点からあーでもないこーでもないと自由に議論しまして、ほんと楽しいものでした。

70歳ほどの偉大な名誉教授の名を冠する巡検なのです。大変元気です。いつも露頭の前で学生に向かって情熱的にとめどなくお話する姿に感銘を受けました。

 

 帰省では、まず東京で一泊しまして、自分の実家、妻の実家に半分半分いました。

東京では娘が東京近辺にいる友達と遊びにいくというので、別行動することにして、久しぶりに靖国神社に行きました。サハリンにロシアが攻めてきたときに最後まで電信を守った電話交換手の女性たちの映画を見ました。昭和49年の映画でした。しばらく放映禁止になっていたそうです。

ソ連兵は統率がなってなくて若い女性は凌辱されるという噂で、青酸カリでみな自決という映画でした。そんな話があったとは知りませんでした。

が、実は若干名の生存者がおり、男性職員のおかげで凌辱もされなかったとのことです。

一方でタイミングによっては、電話交換手ではない他の女性が同じ街でソ連兵に凌辱を受けたという証言もあるようです。

また、自決は日本軍の強制だったという噂が流れ、宗谷岬の碑文に当初そのように書かれたのですが、生存者の証言によって自らの意思で自決したと書き換えられたそうです。うん、真実にいたるには非常に努力が必要です。

それぞれの実家では、酒飲んでぼんやりして、ちょっと卓球とすぽっちゃで運動。

 

 その後、高知に戻り、再び三波川帯の調査に2日間行きました。高知大のフランス人の同僚とその研究室に短期留学中のドイツ人の学生、あと、愛媛大のロシア人(カザフスタン人)と私の4人でした。私以外みな女性。野外調査を活動的にこなしました。

 

 で、地質学会に向けて発表準備を開始しました。今回は発表二つ。どちらもなかなかよい結果と思います。がんばろう。