ドイツ人との議論

 先週末は土曜日の教授宅ホームパーティー、日曜日のキール日本人会で楽しく過ごしました。飲みすぎました。

 教授宅ホームパーティーでは、職場の同僚とその奥さん方が集まりました。みんなドイツ人。一人だけ日本人。国際海洋掘削プロジェクト関係で札幌に3年住んでいたことがある夫婦がいて、札幌ネタで盛り上がりました。ときどきドイツ語のみのシーンがあるのですが、その時でも英語に似た単語を拾いに精神を集中して聞き入ります。すると、少なくともどんな内容の話をしているのかはなんとなくわかるのです。そのとき、どういう態度で議論しているのかを観察します。ある時はサイエンスの議論。結構白熱した態度で議論しています。ある時は政治の話。意外やユーモラスにゆったりした態度で議論しています。話が一段落したところだと思うのですが、突然英語になり、私に今何の話をしていたのか教えてくれます。

「いやー、政治の話をしているのに、冷静にユーモラスに議論しているのが印象的ですね。日本ではあまり政治の議論を突っ込んでしない傾向があるし、下手にやると感情的になることがよくあります。なにか結論をもとめに行ってしまうし、意見が違うと保身に走る傾向があります。」

とか、上の日本語を逐語的に英語では言えなくて、日本人は政治議論で戦っちゃうとか、真面目すぎて反論に対して冷静に答えられないとか、そういった感じで英語にしています。

 この教授は海洋掘削関係のヨーロッパ側国際機関のリーダーをやっている方で、すごいえらい人です。今、日本では文学や理学を軽視する傾向があって、応用や工学へ集中することが議論されているけど、ヨーロッパではちゃんと基礎研究の価値が社会的に認知されている印象があります。どうやって基礎研究の価値を社会に説明しているのか?と聞いたところ、教授曰く「説明する必要はない。結果が価値を示している。」とのこと。すでに文化として定着していて、言葉にする必要すらない、ということらしいです。おそろしや。

 また別の先生は、ドイツ人がこんなに英語がしゃべれるようになったのは本当つい最近のことだといいます。その先生が学生の頃はそんなに熱心に英語教育をしていなかったとのこと。新しい英語教育のおかげで私もドイツ語なしで楽しく生活できます。日本も20年とかでもっと人々が英語をしゃべれるようになるのでしょうか?日本では小学校からの英語教育が議論されていますが、その前に日本人としてのアイデンティティーを教育するのが先だろう、日本の文化が変化することが心配だといった、やや否定的な意見もあります。ドイツ語は英語に似ているし文化も英語圏と似ているから、あまりそういったことは問題ではないようです。

 はたまた、ドイツ人のゆったりした生活にもかかわらず、効果的に先進国になっていることがすばらしい、というと、札幌在住経験のある先生からは日本人だってすばらしいよ、完璧にこなそうとする姿勢、常に他の人を尊重して配慮を欠かさない点は印象的だ、当然ドイツと違うけど、どちらがいいかはわからないよ、と言われました。日本人のそういう性質のせいで、世界に類のない安全な社会があるのかもしれません。財布を拾っても盗まないとか、ありえないですよね。

 さらに、ヨーロッパでは国ごとに意見の違いはあっても、それを乗り越えて経済を統一し、国際的な協力関係を築いている、日本も中国や韓国とのいざこざを乗り越えて協力関係を作っていかないと、損してしまうよ、と言われました。確かにオーストリアの人たちとの議論が思い出されます。いろいろ意見の違いがあっても、協力する姿勢がヨーロッパの人たちにはあります。だが、どうでしょうね。ドイツはEUシステムで恩恵を得ている方だから、余裕のある発言ができるのかもしれません。

 などなど、すごい突っ込んだ議論ができて、大変楽しかったです。多分ドイツでも超エリートの集まりだと思います。ほんと楽しかった。

 なんか読み返してみると、クソ真面目な話ばかりしているようですが、もちろん馬鹿話もいっぱいします。しかし、もっと強く言いたいことは、例え上記のような内容でも、ゆったり興味深くユーモアを交えて議論しています。そこがいい!

 ちょっと長くなったので、キール日本人会の話はまた後ほど。