米国出張で感じた日本人の英会話

 先週は毎年恒例の米国サンフランシスコで開催される地球科学関連の学会に行っておりました。昨晩無事キールに戻りました。昨晩は結構寝れまたので、時差ぼけなかったなと思ったのですが、今眠いです。

 さて、今回もいつもの日本人の研究者仲間と喋り倒し、他の海外の研究者とも多く喋りました。その際に感じた英語会話のことについて、ちょっと書いておきましょう。過去に米国で2年間、今ドイツで9ヶ月、英語の生活をしておりますが、その両方の経験から感じた英語の話しやすさの違い。はたまた、夏に日本に一時帰国して国際ワークショップとの違いなどについてです。

 まず、言っておかねばならないことは、「日本人の英語会話は致命的にひどいのではないか?」ということです。現在地球科学は巨大化の一途をたどっており、国際共同研究で行われています。日本も多額の研究費をつぎ込んで、大変貴重なデータを取っております。新しく溢れ出るアイデアは日本のデータがもたらします。しかし、同僚の日本人研究者とちょっと話題になったのですが、多くのそれらの結果はなぜか米国の研究者が発表しているのです。これはよくない。これは、英語の問題ではないか?一例でしかないのですが、8名ほどの小さな研究ミーティングで英語の議論になったときにキーパーソンの日本人英語の酷さが気になったのがきっかけです。他にも著名な研究者であっても聞くに堪えない英語で口頭発表している例も気になりました。

 私の英語もそれほど大したことはないので人のことが言えた義理ではないのですが、ドイツで英語で生活しているとだいぶ英語が上達したような気がしているのです。英語が上達した気になると多くの人たちと雑談が可能になり、人となりが理解できるようになります。外国人も同じように政治や教育を気にして子供の成長に一喜一憂し、何が面白くて何を美しいと思うのか、共感する度合いが深まります。また、ほぼ敬語がないし、年齢もあまり問題にしないので、英語でしゃべる方が日本語より楽ではないかと感じてきました。

 と思って、夏に国際ワークショップに参加した際には、むしろ日本の空気読め感を不快に感じ、外国人と積極的に楽しく会話することができました。おー、これは俺の英語は上達している!と。

 ところが、米国の学会に参加してみると、単純にそうではないんだな、と感じました。やはり現場のネイティブ英語は難しい。ドイツでは非ネイティブな英語で聞き取りがだいぶ楽なのです。ドイツ語は安心して聞き流します。ところが、現場のネイティブ英語は早くて難しい。そして、ネイティブ達も日本ならこちらに合わせて拙い英語に寄り添ってくれますが、本場ですとその寄り添い感がだいぶ薄い。結論は本場で英語でやりあうのはほんと大変だ、ということです。

 ドイツの方がいいわ。

 そんでもって解決策は、大事な決め事は日本でやれ、ということですね。そうすれば、英語ネイティブも少しは英語会話で寄り添ってくれるでしょう。