祖国について

 青山繁晴「ぼくらの祖国」を読んでいます。
 米国留学して特に愛国的になったわけですが,外国にかぶれたわけではなくてですね。祖国を愛するということはごく自然で当たり前のことですね。米国人が自然に国旗を振って自分の国に誇りを持とうとしている行為を目の当たりにしてそういう風に感じたからだと思います。日本はなんか自虐的ですな。声高に言うべきことではないという風潮は,日本がそれだけ平和だということですね。
 京都大学の中野剛志先生は「国民とは共通の規則・文化・習慣に基づいた集団行動」だと定義し,そのような集団行動は将来の不確実性を最小にするという効果があって,自然発生的に必要なことだと説きました。そういう集団の単位が国民だと。しかもこれは過去から継続していて,また未来の子々孫々に残すことで国は保たれる。
 日本は今年,皇紀2672年。同じ伝説を共有する民族が途切れることなく現在まで国民として受け継がれている世界でも類を見ない国です。すごい!そんなうそっぱちの伝説なんて真に受けちゃいけないよー,と言われる向きもありましょうね。でも伝説から現在までストーリーに継続性を保存してきただけでもすごいと思います。
 そういう体制の発端となった712年の古事記編纂から今年で1300年。記念の年です(マニアックですけど!)。少なくともこのときから日本は継続しています。これでもすごいことです。

 こんな風にどこの国の人も自分の国を自然と愛していますね。
 ところがそういう自然な行為ができない国がある。チベットウイグル内モンゴルという中国に占領されている国。最近チベットで中国政府に対する抗議のために若者が焼身自殺するというニュースが比較的大きく取り上げられています。なぜ抗議のために焼身自殺する他ないのかというと,チベットでは数人で集まって話をすること自体が禁止されているそうで,個人が最大限の抗議の意思を示す最後の手段になっているようなのです。異なる文化を持つ民族に,先祖代々伝わってきた文化や習慣を蹂躙されることの苦痛とは,そこまでひどいのだということです。