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尊敬する人

 またしてもオチのない話になると思います。だらだら書きます。


 ちょっと前、新聞にダライラマさんのことが書いてありました。チベットではほとんどの国民がダライラマさんを心の底から尊敬しているという。記事ではそういう尊敬できる人がいることは幸せなことだなぁと締めくくられていました。
 米国にいたときにダライラマさんの講演会を聴きに行ったとき、会場の入口でシュプレヒコールをしている団体がいました。よく聞くと、
チベットの国民にデモクラシーを!」
と叫んでいる。すべての人が仏教を強制されているので、自由がないと思われているんですね。だけども本当にチベットの人がダライラマさんを心の底から尊敬しているとしたら、まったくもって大きなお世話なのですね。正義はまったく難しいです。


 先日読んだ本で、「日本人辺境論」だったか、ちょっと今はやり気味の本ですけども、その中で興味深かったのが、日本人は最高の学びのシステムを持っていると。日本人はいったんこれを学びたいと師を選ぶと、無批判に素直に受け入れる姿勢を持つというのです。これは最高の学びの姿勢であると。師が何も考えずに言ったことをすべて意味のあるものと捉えようとする姿勢が最高の学びであると。


 大学の学生が指導教員を選ぶのは、まさにそういうことなのですけども、一度決めたら学生は自分の指導教員がすごい人であってほしいと普通思うものです。そういう思い込みがあったほうが、本人は成長できると思うのです。さっきの辺境論ですけども。なので、学生に向かってはその子の指導教員のすごいところをいつも言うのです。研究室を決めるのに悩んで相談に来た学生には、どこの研究室に行っても必ず得るものがあるから心配しないで自分を信じて選びなさい、と言うのです。
 やっぱり辺境的には無批判に恩師を持つことは幸せなことなのだと思います。


 翻って自分を顧みると、僕はお名前をお借りした書類上の指導教員と、実際に中身を教えてもらっていた指導教員との二重指導を受けていまして、当然盲目的に実質指導者のいうことを聞いておりました。たまに書類上の指導教員が何か言ってくると実質指導教官と矛盾するもんですから強く反発してしまっていました。この経験から、まずは自分の指導教員の言うことを聞け、俺の助言がその指導と違ってたら指導教員を優先しろ、と相談に来る学生には言うようにしています。二重基準は学生は混乱するのです。初めから優先する師を決めておくのがよいのです(修士くらいまで?博士課程は別。)


 先日、引越しの段ボールの最後のひと箱を整理していたところ、一つ封筒が出てきました。先の書類上の指導教員からの手紙でした。もう10年以上前の手紙ですね。中には下らないスポーツ新聞のゴシップ切り抜きが一つと、「○○(実質の指導教員)の秘密発見」と一行だけ書かれた便箋が入っていました。実質指導教員と同名の芸能人が電撃結婚したという記事でした。もらった時は、なんだ暇な奴だなぁーと思っただけでしたが、今思えば彼は彼で僕のことを少しでも気遣っていたんだなぁと思い遣られるのでした。