相対的

 僕は遠藤周作の言葉に強く影響されているなぁとしばしば思います。


結構年を取ってからのエッセイで、
「人生の経験者であるから、それなりにこれから言うことには自信がある。若い読者もそう思って老人の言葉に耳を傾けるのもたまには悪くないでしょう。物事はすべて相対的で・・・」
みたいな文章がありました。別に前段の部分はどうでもいいんですけど、で、肝心の相対的だからどうしたという中身に付いては全く覚えていない。


 相対的というのはすばらしいですね。プレートテクトニクスの言うプレート運動は多くの場合相対的に記述されます。プレート境界を記述するには二枚のプレートが必要ですね。断層の記載も同じです。断層も境界であって、二つのブロックが必要。ああ、テクトニクスはうつくしいですね。


 物事は関係性の中でしか認識されないと、だれかすごい人が言っていたような気がします。マックスウェーバーか?相対は一つの関係性ですね。


 「いい」とか「わるい」とかも相対的な関係の中で判断されるものですね。同じことでも時と場合によってよくなったりわるくなったりする。自分自身の機嫌によって、昨日は笑って済ませたことが今日はどうも気に入らなくなったりする。野党のとき批判していたことが与党になって返ってくる。世の中は矛盾に満ちます。面白いときもあるし、シャレにならないときもありますね。


 別にオチはないんですけど、いろんな人がいて面白いな、と思います。


 もう一つついでに誤解をおそれずに言うと、高知のご飯はおいしい、アメリカの飯はまずい(西海岸除く)。