google翻訳がおもしろい

技術の進歩は目まぐるしいですね。

Google Homeという音声認識スピーカーが、最近連続通訳するようになりました。

これまでは、「OK, Google, 〇〇を英語に翻訳して」と毎回頼まなければならなかったのが、「OK, Google, 日本語を英語に通訳して」というと、「では、どうぞ」と返答し、通訳モードに入ります。ここからは、日本語を話すとすぐに英語をしゃべり出します。

「終了」と言うまで通訳モードが続きます。

この精度がすごい。

「断層の剪断方向は非対称構造から推定する。」

とか、すごい専門用語も正確に訳してくれます。どうなってるのでしょうか?

あ、と思って、試しに

OK, Google, 英語を日本語に翻訳して」

と言うと、これまた通訳モードに入ります。今度は英語を喋って日本語に訳すモードです。

自分の英語が通じるか、試してみました。

「I play badminton at lunch time.」

「私は昼休みにバドミントンを祈ります!

ガクッ。残念・・・。やはりLとRを正確に言うのが日本人には難しい・・・。

 

思い出しました。このような音声認識は私が10年以上前に在外研究していた米国でもありました。Windows OSがトラブって、シリアルナンバーを認証し直す必要があったのですが、どう言う経緯か忘れましたが電話でやれと。で、電話すると機械対応で、シリアルナンバーを言えとかいう。電話越しに機械が自動音声認識してくれるというシステムでした。

私「トゥー」

電話越しのコンピュータ「2」

私「エイ」

電話越しのコンピュータ「すみません、もう一度お願いします。」

私「エイ!

電話越しのコンピュータ「A」

私「エイチ」

電話越しのコンピュータ「すみません、もう一度お願いします。」

 私「エィチ!

電話越しのコンピュータ「すみません、もう一度お願いします。」

 私「うおー!!!」

 

この頃は精度良くなかったな・・・。

 

教授会で地震

 本日、教授会がありました。うちの教授会は教員全員参加が原則です。6階の大会議室で行われます。

 しばらくして、地震がありました。高知では大変珍しいです。6階だからか、震源が遠いからか、ゆったり結構長く揺れました。みんな気がついていたはず。

 教授会は地震を無視して淡々と進みます。

 すぐに私も隣の教授もネットで地震情報を見ます。すると1分前くらいの情報がすでに出ています。

 私「紀伊水道、地下42キロですって。」

隣の教授「深いな、マグニチュードは5.4か。」

 私「まだ、発震機構でないですね。」

隣の教授「和歌山で震度4か、広いな。」

そのときすでに、震度分布のマップがでてました。高知市は震度2。防災情報ページでは、すでに震度と市町村のリストがでてました。この間、3−4分。

 それから1分するかしないかで、発震機構がでました。

隣の教授「横ずれだな。」

 北東南西方向の高角な断層が動いたようです。それにしては震源が深いような気がしないでもない、な。

 といったことが、日本ではすぐにわかります。すごいですね。

 教授会は淡々と進みます。地震がなかったかのように。

 このような地震の情報が瞬時にわかる日本、弱い地震は何事もなかったかのようにやり過ごす日本人。日本では日常的ですが、ちょっと未来に行きすぎている気がしないでもない。

 

 

私のパソコン遍歴

 技術の進歩は目まぐるしいですね。今やパソコンなしでは生活もままならない時代です。以下、私のパソコン遍歴をちょろちょろ語りたいと思います。

 小学校高学年あたりだったと思うのですが、友達の市川くんがNECPC-6601を持っていて、遊びに行った時にサラダの国のトマト姫とかをやって遊んだ記憶があるな。これが、私のパソコンとの最初の遭遇だった気がします。1984年に栃木博という博覧会があって、パソコンコーナーでロードランナーをやった記憶があります。となりで、エルゴノミクスキーボード(キーボードが両手に放射状にならんでいるやつ)の試し入力にも挑戦しました。子供時代の記憶は断片的ですが生々しいです。緊張しながらも静かに興奮したことを覚えています。

 私が小学6年生のとき、3つ上の兄が電卓のでかいやつを友達から借りてきました。それは電卓ではなくて、プログラムが組めるポケットコンピューターポケコン)でした。どういう経緯か忘れましたが、その後すぐに自分のポケコンを持つことになりました。カシオのPB-110というやつ。私はこのポケコンに夢中になりました。プログラムを組めば、いろんなゲームができる!

 最初に作ったのは説明書にあった数当てゲーム。ポケコンが乱数で出す数字を当てていくゲームです。0−99の数字を適当に入れると、答えはそれより大きいか小さいか表示して、すこしずつ解を狭めていき最終的に数を当てるというゲームです。その後、シューティングゲームやらバイクのレースゲームなどを作りました。

 中1になって、親にパソコンを買ってもらいました。シャープのX1-Gという8ビットパソコン。最初に買ったゲームはハイドライド2だったような気がします。でもお金がないので、ゲームをしたかったら自分でプログラムを組むしかない。電波新聞社のベーシックマガジン(ベーマガ)を毎月欠かさず買って、そこに掲載されているゲームを入力して遊んでました。自分でもオリジナルのゲームを作ろうと、いろいろ勉強しました。だんだんとベーシックの遅さに嫌気がさして、機械語を勉強し始めました。中3の頃には8ビットパソコンの時代に陰りが見え始め、ベーマガ掲載のゲームも機械語が出始めていました。機械語の専門書から逆アセンブラでプログラムを読み始め、ギャラクシアンのパクリゲームをさらにパクったりしてました。中学最後の頃、技術の進歩で FM音源で音楽をプログラムすることが可能となり、ゲーム音楽を入力したりしてました。小中と吹奏楽部でトロンボーンをやってたので、中音の和音が好きでした。

 ここまでで、パソコンとプログラムの基礎ができました。CPU、メモリ、外部記憶、出力、入力といったハードの構造、ベーシックインタプリタ機械語の基礎などです。

 が、ここで情熱が冷めました。創作ではよくあることですが、途中の実験段階ではすごい面白いのですが、最後にまとめ上げるところがどうしてもめんどくさいのです。今でも論文の最後の仕上げのところがめんどくさいのと同じです。データが出て夢想するところまではすごい面白いんですけどね・・・。

 高校に入ってからはほとんどパソコンでプログラムを組むことをしなくなりました。一応クラブ活動でパソコンやってましたが。部活は運動部に切り替えて、バドミントンに力入れてました。

 大学に入って、卒論に入るころ、マッキントッシュに出会い衝撃を受けました。お絵かきソフトで絵を描くのが楽しかった。プログラムを組むことはほぼなく、アプリケーションを使ってできることが楽しかったですね。このころからネット通信にも手を出し始めました。インターネットが出始めで、e-mailを使い始めました。

 インターネットもまた衝撃的で、ホームページを作ると自分から世界に情報発信できてしまうことに興奮しました。HTMLでホームページを作り始めました。また、サーバーサイドに個人の掲示板やアクセス解析を設置したりしました。ここでネットワークの基礎も学びました。ま、いろいろあやふやなんですけどね。メールサーバーのPOPとSMTPの違いや、IPアドレスのルーティングなどの考え方がわかった時は、ちょっと突き抜けた気がしました。WiFi無線ルーターとかも衝撃受けました。今や家庭でも光通信で高速インターネットが無線でできる時代になりました。

 プログラムの話に戻ると、今もちゃんとしたプログラムを組むことはほとんどないのですが、エクセルの自動化マクロをVisual Basicで組んだり、RやMATLABマトリックス計算の命令を打ち込んだりすることはあります。基本的には小学校のPB-110でやったベーシックと同じです。一時期はスマホアプリを組むことに盛り上がってた時もありました。挫折してます・・・。

 40代半ば前後のおっさんで同じような状況の人多いんじゃないかなー。良い時代であったな。今娘は何も考えずにスマホゲームに興じ、インターネットサービスを当たり前に受け入れていますね。今の若者の時代はどのようになるのか、大変興味深いです。

 なんでこんなこと書いているかというと、今の情報社会はまだまだ過渡期だなと感じるからです。個人がこんなに自由に世界に発信できるなんて危なくない?!でもいいこともあるね!テレビ、新聞雑誌を間に受けてはいけない。個人が裏をとる、専門家や個人の多様な意見を求める、そういうことができる時代です。一方で、過度に反応する炎上騒ぎが起こるし、悪ふざけの不道徳な動画などもすぐ出せちゃう。出したら最後、死んだ後でも残る。怖くない?このような駄文は、どうでもよいのですが。

無事卒論終了

 先日火曜日、無事、今年度の卒論が終了しました。

 ほんと今年はどうなることかと思いましたが、どうにかなりました。とか、毎年同じように思うのですが、ほんと今年はやばかった。

 ま、最後の最後でみんながんばってくれました。また、これまでの資産というか、先輩たちの研究の積み重ねが、今年の卒論生を救った部分も多くありました。学生は性格も能力も一様ではありませんし、研究の結果も自然からの恵みですから様々でしたが、みんな理学的な思考をして、なんらか新しい関係性を発見したことには間違いありません。そのことから、一人一人がなんらか得たと感じてくれたら、と思います。

 で、私も一段落したのですが、まだまだ予算の執行、成績付け、データ処理、論文執筆(希望)、業績まとめなど、年度末に向けてやることたくさん。

 昼休みのバドミントン、相変わらずすごい楽しんでいます。なんと今年に入ってまだ一度も休んでません(のはず)。卒論発表会の日も昼飯食べずに走って参加しました。ますます上達している気がする。明後日、初めて大会に出ます。楽しみです。

 ですが、先週金曜日は私費外国人入試でサークル活動自粛からの3連休で4日間バドミントンできず、からの火曜日から久々バドミントンをやったところ、腰を痛めました。軽くですけど。腰のサポーターをつけてます。だいぶ楽です。今日は腰サポーターつけてバドミントン やったらなかなか動けました。明日はゆっくり休んで、明後日の本番に備えます。

牛肉アレルギー

 ずいぶん前に書きました、「娘の卓球大会初勝利のステーキでオエオエになった」話。

whassyw.hateblo.jp

肉の油に胃が過剰反応する老化の一種と思い、寂しい気持ちになったものでした。念のため人間ドックで調べてもらいましたが、胃は綺麗そのもので胃酸過多の様子はない、とのことでした。その後、ネットでいろいろ調べてみると、牛肉アレルギーというものがあるらしい。多分これに違いない。

 ところが11月の野外調査で食べた四万十牛は食べられました。いい牛肉は大丈夫なのかな?で、年末の飲み会がちょっと高級なところであって、牛肉のたたきみたいのを冒険して一切れ食べてみたところ、ダメでした。ここの牛肉、高級じゃないじゃん!と思ってお品書きをよくよくみると、牛じゃなくて鴨でした・・・。あらららら、鴨でもくるのか。症状は全く同じで、食べて5分くらいで消化器系の過剰反応からオエオエくる感じです。一旦オエオエくると、口に入れるものすべて受け付けなくなります。食ってはオエ、食ってはオエとトイレに駆け込みまして、お店の人に心配かけるくらいでした。1時間くらいで落ち着いて、最後に出た好物のホタテの炊き込みご飯はなんとか食べられました。

 牛だけじゃなくて鴨もだめなら、他にも何かあるかもしれないと思って、アレルギー検査を受けました。結果はハウスダスト系にちょっと反応が出るも、他はまったく反応なしでした。牛もクリア。鴨は検査項目になし。全体的なアレルギー体質を示すIgEという指標もかなり低い値でした。

 その病院の先生にネットで得た知識を問うてみました。

「どうもマダニに噛まれると牛肉アレルギーになりやすいとか」

「よくご存知ですねー。島根大学にそればっかりやってる先生がいるんですよ。高知にもときどき講演に来ますよ。」

 忘れもしない、最初に発症したのは2年前の野外巡検でのバーベキューでした。マダニに噛まれてすぐレアな牛肉を食べたのがよくなかったのだと思う。

 島根大に専門の先生がいる、という情報をつてにまたまた調べてみると、もっと専門的なことがわかってきました。

 海外では結構昔から牛肉アレルギーの人が多い地域に偏りがあることがわかっていたらしいです。マダニの唾液?がアレルギーを引き起こす原因であることも徐々にわかってきました。アレルギー物質はアルファーギャルというガラクトース二つがなんかでくっついた糖鎖で、四足動物に多く含まれるとのことでした。特に牛肉に多く含まれており、ある閾値を超えると反応するとのことです。反応も様々で、肌に出る場合や呼吸器系、消化器系などがあるようです。私の場合は牛肉のみで、消化器系に反応がでるパターンです。この経路は大腸ガンか何かのガンに対する抗がん剤と同じ反応経路らしく、牛肉アレルギー持ちには使用してはならないという論文もありました。将来気をつけないとな・・・。ある論文によると、マダニに噛まれてから時間とともに反応物質が減るので、時間を開けてから食べれば発症しない可能性が高まるとのことでした。野外調査するみなさん!調査後のバーベキューは気をつけてください!

 で、あれ、おかしいな。鴨は四足動物ではないし、調べてみるとアルファーギャルは含まれていないらしい。アレルギー検査でも牛肉は引っかからなかった。どうも私の場合は、これまでに報告されていないアレルギー物質に反応しているのかもしれない。

 牛肉だけだったら、食べなくても生きていけるので避けるようにしてください、鴨はそんなに食べるもんでもないからこれも避けて、とのことでした。少しずつ食べて閾値を上げていくという治療法があるようですが、そこまですることないんじゃない?とのことでした。妻は安い肉で済む!と喜んでいます。

 最後にお断りしておきますと、私は全く専門外ですので上記の情報は誤解や不確かなことが含まれている可能性が高いです。信用してはいけません。