ドイツでしゃべった人々

 ドイツではいろいろな国の人に会いました。ここでお話ししたことがある人の出身国を挙げてみましょう。ほんのちょっとしか喋ってない人も含みます。

 ドイツ人、日本人、中国人、台湾人、韓国人、ウクライナ人、イタリア人、フランス人、インド人、ネパール人、シリア人、イラン人、チリ人、ベネズエラ人、エリトリア人、アメリカ人、フィリピン人ですかね。覚えきれてない人もいるかもしれません。

 他にも学会とかでドイツ以外の国に行った時、話しした人々で上に上がってない国の人は以下の通りです。オーストリア人、スペイン人、スウェーデン人、メキシコ人ですね。

 この一年でいろんな国の人と話ししました。

  ドイツで初めて会った国の人は、ウクライナ人、ベネズエラ人、エリトリア人です。エリトリアってどこ?ってなりますね。エチオピアの北の国で20-30年くらい前に独立したみたいです。勉強になります。

 鉄板は天気の話。あとは、食べ物、仕事、サイエンス、政治、教育、歴史などですね。コアなキャラとは結構、政治や歴史の話で盛り上がります。これまた勉強になります。

 私がこういう会話の中で疑問に思ったのが、どうやら世界の人々の国民意識というのは日本人が思っているほどに明確ではないのかも、ということです。インドやネパールでは地域の言語が100以上あってお互いに会話ができないほど違うそうです。共通語があって、国民の間での会話は共通語を使う。国境付近では隣の国の影響が色濃く出て、ネパールの北はチベット系、南はインド系になるそうです。それでも、国境で国民意識は明確に区切られると言っています。が、本当でしょうか?

 ユーロ圏では、EUに対するデメリットとメリットで国民意識による不満がありつつも自由な移動を受け入れる寛容さを持ちます。あるいは、逆に同一国内でも独立の気運の残る場所があったり(スコットランドとか、スペインのバルセロナ付近とか)、オーストリアの一部だったドイツ語圏がそのままイタリアに編入されていたり。複雑怪奇です。

 どうも日本人が日本人と思っているほど単純ではないようで、私はどこどこ人というほど強く国民が結びついていないような気がするのです。これが中央政府の権限を弱くして、州政府の裁量が大きかったりすることにつながっていると思います。ドイツでもそう、中国でもそう。多分インドもネパールもそうだと思います。

 外国にいれば、同じ国民としての結びつきが強くなるのだと思います。でも日本人ほど強くないような気がする。気のせいかもしれませんが。

実験再開・論文

 予定通り、今月は実験再開。一時のトラブルはなんだったのか?と思うほど順調です。残りの実験は、これまでの実験をサポートするための、より簡便な実験なので気分的に楽です。今週初めに始めて、今日無事終了。来週あと一個やったら、こちらでの実験は終了する予定です。今月末からデータの解析にかかります。

 昨年末に投稿した論文はクリスマス前にあえなくエディターリジェクト・・・。ま、想定内です。エディターから別の雑誌に転送の提案をいただきまして、言われた通りの雑誌に転送したところ、先日レビューに回してくれるとの通知をいただきました。どうなることやらですが、朗報を祈って待ちましょう。4ー6週くらいかかるようです。3月の予定とかぶりそう。

 2月中になんとか今のデータで話を作って、3月に論文を執筆しようと楽観的に考えています。アイデアは固まっているで、どんな結果になろうとも話はできると思っているのですが。

 3月はこの論文執筆だけじゃなく、キールを去る準備もありますね。実は他にもイギリスの研究仲間を訪問する予定です。さらに、今の同僚が3月にオーストリアの大学に異動するのですが、そこでレクチャーする予定もあります。3月はちょっと忙しくなりそうで、2月一杯までにキールと周辺を余さず楽しまないとなぁ。

 

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。

 実はこっそり日本に戻っておりまして、年末年始を妻と私の実家で過ごしました。高知には戻っておりません。食べ物が美味しかったです。また鍋の素とかお茶漬けとか食材を調達してキールに戻ってきました。今回は鶏肉の唐揚げ用の味付き唐揚げ粉を入手し、焼きあげ風の唐揚げに挑戦したいと思っております。

 去年のAGUからキールのクリスマスシーズン、日本の年末年始と飲み続け、時差ぼけによる寝不足と相まって調子悪いです。

 ドイツ生活も残りわずか3ヶ月弱。今月は実験、来月はデータをまとめて、再来月に論文執筆・投稿で、有終の美を飾れたら良いなと思っております。どうなることやらですが、多分無理っす。

 ま、ぼちぼちやっていきましょう。

米国出張で感じた日本人の英会話

 先週は毎年恒例の米国サンフランシスコで開催される地球科学関連の学会に行っておりました。昨晩無事キールに戻りました。昨晩は結構寝れまたので、時差ぼけなかったなと思ったのですが、今眠いです。

 さて、今回もいつもの日本人の研究者仲間と喋り倒し、他の海外の研究者とも多く喋りました。その際に感じた英語会話のことについて、ちょっと書いておきましょう。過去に米国で2年間、今ドイツで9ヶ月、英語の生活をしておりますが、その両方の経験から感じた英語の話しやすさの違い。はたまた、夏に日本に一時帰国して国際ワークショップとの違いなどについてです。

 まず、言っておかねばならないことは、「日本人の英語会話は致命的にひどいのではないか?」ということです。現在地球科学は巨大化の一途をたどっており、国際共同研究で行われています。日本も多額の研究費をつぎ込んで、大変貴重なデータを取っております。新しく溢れ出るアイデアは日本のデータがもたらします。しかし、同僚の日本人研究者とちょっと話題になったのですが、多くのそれらの結果はなぜか米国の研究者が発表しているのです。これはよくない。これは、英語の問題ではないか?一例でしかないのですが、8名ほどの小さな研究ミーティングで英語の議論になったときにキーパーソンの日本人英語の酷さが気になったのがきっかけです。他にも著名な研究者であっても聞くに堪えない英語で口頭発表している例も気になりました。

 私の英語もそれほど大したことはないので人のことが言えた義理ではないのですが、ドイツで英語で生活しているとだいぶ英語が上達したような気がしているのです。英語が上達した気になると多くの人たちと雑談が可能になり、人となりが理解できるようになります。外国人も同じように政治や教育を気にして子供の成長に一喜一憂し、何が面白くて何を美しいと思うのか、共感する度合いが深まります。また、ほぼ敬語がないし、年齢もあまり問題にしないので、英語でしゃべる方が日本語より楽ではないかと感じてきました。

 と思って、夏に国際ワークショップに参加した際には、むしろ日本の空気読め感を不快に感じ、外国人と積極的に楽しく会話することができました。おー、これは俺の英語は上達している!と。

 ところが、米国の学会に参加してみると、単純にそうではないんだな、と感じました。やはり現場のネイティブ英語は難しい。ドイツでは非ネイティブな英語で聞き取りがだいぶ楽なのです。ドイツ語は安心して聞き流します。ところが、現場のネイティブ英語は早くて難しい。そして、ネイティブ達も日本ならこちらに合わせて拙い英語に寄り添ってくれますが、本場ですとその寄り添い感がだいぶ薄い。結論は本場で英語でやりあうのはほんと大変だ、ということです。

 ドイツの方がいいわ。

 そんでもって解決策は、大事な決め事は日本でやれ、ということですね。そうすれば、英語ネイティブも少しは英語会話で寄り添ってくれるでしょう。

 

ドイツ滞在8ヶ月。オーストリア訪問で感じたヨーロッパの愛国心の謎

 ドイツに来て8ヶ月が過ぎました。とうとう残り4ヶ月。あっという間に過ぎそうです。

 11月は大変充実しておりました。失敗続きだった実験が嘘のように順調に進み、いいデータが取れました。実験が順調だったため放置中だった論文もほぼほぼ完成しまして、そろそろ投稿の運びです。月末にはオーストリアのグラーツという街へ行って、グラーツ大学でレクチャーしてきました。

 グラーツはウィーンから電車で2時間半くらいのところにあります。アルプス山脈の東端をかすめる位置です。電車から美しい山々を見ることができました。

 グラーツ大学は大陸移動説を唱えたアルフレッド・ウェゲナーが教員をやっていた大学で、地球科学者はちょっと興奮します。コスタリカの海洋掘削プロジェクトで一緒だったウォルターに春のヨーロッパの学会で一度遊びに行かせてくれと頼んだところ、レクチャー講師として招待していただけました。

 レクチャーには毎週異なる講師を招いているそうで、大学院生向けの学生の授業の一環のようです。招待講師は国際的に呼んでいます。レクチャーを行った教室は百年を超える伝統的な階段教室で、作りが厳かで見るからにありがたい雰囲気がプンプン漂っていました。ほんといい経験になりました。

 レクチャーの後ウォルターとその同僚とディナーに行きまして、いろいろ話ししました。興味深かったのがEUの大学入試?的な問題です。オーストリアの大学の入学は定員と希望者数と高校のときの成績で決まるそうです。医者とか薬学とかは結構人気があるそうです。問題はドイツ人にも、おそらくEUのすべての国の人に門戸が開かれていることです。ドイツ語圏であるためかドイツ人が容易に人気の分野に乗り込んでくるそうです。ドイツで希望の分野から漏れたときの駆け込み寺としてオーストリアの大学が利用されているとのこと。ドイツ人の駆け込み学生は学士だけやむなくオーストリアでとって、修士以降はドイツに帰っちゃうとのこと。このようなドイツ人のためにオーストリアの税金が使われている上に、オーストリアの学生にも不利益があることにやや不満を感じているようです。一方で経済圏としてのEUに大きなメリットを感じているようで、EUのルールだから仕方ない、といった受け止め方をしていました。

 オーストリアはハンガリーやドイツと連合を組んでいたこともあり、昔はちょっとした大国だったと思いますが、それが今では窓際国家的な扱い?なのでしょうかね。昔ほどの栄華を誇っている感じはないと思います。ころころ国境が変化してく複雑な歴史の中で、上記のような不満を感じる国民意識ナショナリズム)?はどのように形作られているのでしょうか?思い切って質問してみましたが、明瞭な答えはもらえませんでした。うーん・・・、どうなんだろうねー、って感じ。なんというか、高知県民的意識なのだろうか?オーストリアっていうのは県レベルというか国家よりも一段下のレベルのコミュニティーという意識。より大きな国家政府は膨張したり縮小したりしても、高知県民的なアイデンティティーが民族意識として一番強いのではないかなぁ。それが国境がころころ変わる大陸民の生きる知恵なのではないかと感じてきました。

 イタリアにもドイツ語圏の地方があって、それは昔の戦争でオーストリアからイタリアが奪った地域だそうです。そこに住んでいる人も経済的にはイタリアにいた方がいいみたい。でも心はその地域の民族なのでしょうか?州政府的なものが認められているようなことを言っていたような・・・。イタリア人としてのアイデンティティーは若者に広まっていて、次第に同化していくと考えられているようです。

 日本人というシンプルなアイデンティティーを持つことは大変特殊なことなのかもしれないです。

 

 今月は次の日曜日から米国地球惑星学会に1週間ほど出張です。