ドイツの友達

 昨年度末から先週末にかけて、ドイツでお世話になったミヒャエルが高知に滞在しておりました。共同研究のためです。こちらでやる実験準備、未固結堆積物の変形組織分析の準備、今後の研究計画の話し合いなどを行いました。他にも海洋掘削プロジェクトの国際的な動向の情報交換、他のドイツ研究者との沈み込み帯の新たな研究の枠組み形成にむけての活動などを行いました。あとコアセンターでセミナー発表してもらったり、若手研究者の受け入れ支援の作業なども行いました。

 まー、濃密な3週間でした。研究の話ばかりではなく、ちょうど桜が満開だったので花見をしたり、学生と飲み会したり。昼休みのバドミントンも一緒にやったりしました。当然ながら日本とドイツの文化の違いの話もしますね。

 なかでも最もどうでもいいことを紹介します。

 私は最近夜風呂に入らずに朝シャワーを浴びるのですが、妻からお湯がもったいないから夜に風呂に入れと怒られるんだよね、というと、え?なんで?と問われました。

ミヒャエル曰く

「シャワーはあまりお湯使わない気がするけど・・・。」

「日本では風呂桶にお湯をためてみんなで使うから、お湯が冷めないうちにみんなで入ると効率的みたいな印象があるんだよね。」

というと、あーなるほど、そうかもねー、と納得している様子でした。

「そういう違いがあるかもしれないけど、妻のいうことを聞くのが家庭平和にとって大切だっていうのは同じだねー!」

とか言ってました。

 

 という話をして、あとからあれ?と思いました。ドイツでは食器を洗うとき、シンクにお湯をためて洗います。すすがずに水切りにおいていきます。最後に一気にすすぎます。日本はお湯を流しながら食器を洗いますね。なんか風呂の場合と逆だなー。

 

 はい。

 

 ほんとどうでもいい話でした。

 

新学期、新元号

 4月になりました!

 先月末からドイツの時にお世話になったミヒャエルを高知に呼んで、毎日様々なディスカッションを楽しんでおります。

 堆積物の物性と構造について、それらがどのように沈み込みとともに発展していくかを明らかにしようとしています。また、今後の共同研究の進め方について、日本、ドイツ両国の研究費の申請について、議論しました。

 他、いろいろそれぞれの文化についても情報交換しまくってます。

 

 ところで、本日、新しい元号が発表されました。「令和」。いいですね。昭和生まれの私としては、「和」に懐かしみを感じます。

 最初「令和」と聞いた時、聖徳太子の17条憲法とかが出典の可能性ありとどこかで聞いていたので、まさかそこからとったのかと思いました。律令の始まりは日本独自の民主主義の始まりであり、和をもって貴しとなすは日本人の根幹をなす考えだとか、そういうの想像しました。

 ら、そんな堅苦しいものではなく、万葉集の自然を愛でる心から来ているという。令月、風和、趣深いですね。そのあと、梅を愛でる言葉。梅は中国から来たとかいう話もどっかで見ました。中国で花といえば梅らしいです(ほんとか知らない)。当時の国際感覚を表す花だったのかもしれません。

 この歌をネットで調べてみると・・・。

manyou.plabot.michikusa.jp

天平2年(730年)1月13日に開かれた宴会での歌詠みの中の一つだそうで、宴会の参加者がおもいおもいに歌を詠んだそうです。この時は特にテーマを絞ったりしない気軽な歌詠みだったようにみられるが、自然と相手を慮ったつながりのある歌が出揃ったとのことで、心おだやかな人々の気持ちが伝わりますね。

 

大変趣深いと思います。いとおかし!

 

google翻訳がおもしろい

技術の進歩は目まぐるしいですね。

Google Homeという音声認識スピーカーが、最近連続通訳するようになりました。

これまでは、「OK, Google, 〇〇を英語に翻訳して」と毎回頼まなければならなかったのが、「OK, Google, 日本語を英語に通訳して」というと、「では、どうぞ」と返答し、通訳モードに入ります。ここからは、日本語を話すとすぐに英語をしゃべり出します。

「終了」と言うまで通訳モードが続きます。

この精度がすごい。

「断層の剪断方向は非対称構造から推定する。」

とか、すごい専門用語も正確に訳してくれます。どうなってるのでしょうか?

あ、と思って、試しに

OK, Google, 英語を日本語に翻訳して」

と言うと、これまた通訳モードに入ります。今度は英語を喋って日本語に訳すモードです。

自分の英語が通じるか、試してみました。

「I play badminton at lunch time.」

「私は昼休みにバドミントンを祈ります!

ガクッ。残念・・・。やはりLとRを正確に言うのが日本人には難しい・・・。

 

思い出しました。このような音声認識は私が10年以上前に在外研究していた米国でもありました。Windows OSがトラブって、シリアルナンバーを認証し直す必要があったのですが、どう言う経緯か忘れましたが電話でやれと。で、電話すると機械対応で、シリアルナンバーを言えとかいう。電話越しに機械が自動音声認識してくれるというシステムでした。

私「トゥー」

電話越しのコンピュータ「2」

私「エイ」

電話越しのコンピュータ「すみません、もう一度お願いします。」

私「エイ!

電話越しのコンピュータ「A」

私「エイチ」

電話越しのコンピュータ「すみません、もう一度お願いします。」

 私「エィチ!

電話越しのコンピュータ「すみません、もう一度お願いします。」

 私「うおー!!!」

 

この頃は精度良くなかったな・・・。

 

教授会で地震

 本日、教授会がありました。うちの教授会は教員全員参加が原則です。6階の大会議室で行われます。

 しばらくして、地震がありました。高知では大変珍しいです。6階だからか、震源が遠いからか、ゆったり結構長く揺れました。みんな気がついていたはず。

 教授会は地震を無視して淡々と進みます。

 すぐに私も隣の教授もネットで地震情報を見ます。すると1分前くらいの情報がすでに出ています。

 私「紀伊水道、地下42キロですって。」

隣の教授「深いな、マグニチュードは5.4か。」

 私「まだ、発震機構でないですね。」

隣の教授「和歌山で震度4か、広いな。」

そのときすでに、震度分布のマップがでてました。高知市は震度2。防災情報ページでは、すでに震度と市町村のリストがでてました。この間、3−4分。

 それから1分するかしないかで、発震機構がでました。

隣の教授「横ずれだな。」

 北東南西方向の高角な断層が動いたようです。それにしては震源が深いような気がしないでもない、な。

 といったことが、日本ではすぐにわかります。すごいですね。

 教授会は淡々と進みます。地震がなかったかのように。

 このような地震の情報が瞬時にわかる日本、弱い地震は何事もなかったかのようにやり過ごす日本人。日本では日常的ですが、ちょっと未来に行きすぎている気がしないでもない。

 

 

私のパソコン遍歴

 技術の進歩は目まぐるしいですね。今やパソコンなしでは生活もままならない時代です。以下、私のパソコン遍歴をちょろちょろ語りたいと思います。

 小学校高学年あたりだったと思うのですが、友達の市川くんがNECPC-6601を持っていて、遊びに行った時にサラダの国のトマト姫とかをやって遊んだ記憶があるな。これが、私のパソコンとの最初の遭遇だった気がします。1984年に栃木博という博覧会があって、パソコンコーナーでロードランナーをやった記憶があります。となりで、エルゴノミクスキーボード(キーボードが両手に放射状にならんでいるやつ)の試し入力にも挑戦しました。子供時代の記憶は断片的ですが生々しいです。緊張しながらも静かに興奮したことを覚えています。

 私が小学6年生のとき、3つ上の兄が電卓のでかいやつを友達から借りてきました。それは電卓ではなくて、プログラムが組めるポケットコンピューターポケコン)でした。どういう経緯か忘れましたが、その後すぐに自分のポケコンを持つことになりました。カシオのPB-110というやつ。私はこのポケコンに夢中になりました。プログラムを組めば、いろんなゲームができる!

 最初に作ったのは説明書にあった数当てゲーム。ポケコンが乱数で出す数字を当てていくゲームです。0−99の数字を適当に入れると、答えはそれより大きいか小さいか表示して、すこしずつ解を狭めていき最終的に数を当てるというゲームです。その後、シューティングゲームやらバイクのレースゲームなどを作りました。

 中1になって、親にパソコンを買ってもらいました。シャープのX1-Gという8ビットパソコン。最初に買ったゲームはハイドライド2だったような気がします。でもお金がないので、ゲームをしたかったら自分でプログラムを組むしかない。電波新聞社のベーシックマガジン(ベーマガ)を毎月欠かさず買って、そこに掲載されているゲームを入力して遊んでました。自分でもオリジナルのゲームを作ろうと、いろいろ勉強しました。だんだんとベーシックの遅さに嫌気がさして、機械語を勉強し始めました。中3の頃には8ビットパソコンの時代に陰りが見え始め、ベーマガ掲載のゲームも機械語が出始めていました。機械語の専門書から逆アセンブラでプログラムを読み始め、ギャラクシアンのパクリゲームをさらにパクったりしてました。中学最後の頃、技術の進歩で FM音源で音楽をプログラムすることが可能となり、ゲーム音楽を入力したりしてました。小中と吹奏楽部でトロンボーンをやってたので、中音の和音が好きでした。

 ここまでで、パソコンとプログラムの基礎ができました。CPU、メモリ、外部記憶、出力、入力といったハードの構造、ベーシックインタプリタ機械語の基礎などです。

 が、ここで情熱が冷めました。創作ではよくあることですが、途中の実験段階ではすごい面白いのですが、最後にまとめ上げるところがどうしてもめんどくさいのです。今でも論文の最後の仕上げのところがめんどくさいのと同じです。データが出て夢想するところまではすごい面白いんですけどね・・・。

 高校に入ってからはほとんどパソコンでプログラムを組むことをしなくなりました。一応クラブ活動でパソコンやってましたが。部活は運動部に切り替えて、バドミントンに力入れてました。

 大学に入って、卒論に入るころ、マッキントッシュに出会い衝撃を受けました。お絵かきソフトで絵を描くのが楽しかった。プログラムを組むことはほぼなく、アプリケーションを使ってできることが楽しかったですね。このころからネット通信にも手を出し始めました。インターネットが出始めで、e-mailを使い始めました。

 インターネットもまた衝撃的で、ホームページを作ると自分から世界に情報発信できてしまうことに興奮しました。HTMLでホームページを作り始めました。また、サーバーサイドに個人の掲示板やアクセス解析を設置したりしました。ここでネットワークの基礎も学びました。ま、いろいろあやふやなんですけどね。メールサーバーのPOPとSMTPの違いや、IPアドレスのルーティングなどの考え方がわかった時は、ちょっと突き抜けた気がしました。WiFi無線ルーターとかも衝撃受けました。今や家庭でも光通信で高速インターネットが無線でできる時代になりました。

 プログラムの話に戻ると、今もちゃんとしたプログラムを組むことはほとんどないのですが、エクセルの自動化マクロをVisual Basicで組んだり、RやMATLABマトリックス計算の命令を打ち込んだりすることはあります。基本的には小学校のPB-110でやったベーシックと同じです。一時期はスマホアプリを組むことに盛り上がってた時もありました。挫折してます・・・。

 40代半ば前後のおっさんで同じような状況の人多いんじゃないかなー。良い時代であったな。今娘は何も考えずにスマホゲームに興じ、インターネットサービスを当たり前に受け入れていますね。今の若者の時代はどのようになるのか、大変興味深いです。

 なんでこんなこと書いているかというと、今の情報社会はまだまだ過渡期だなと感じるからです。個人がこんなに自由に世界に発信できるなんて危なくない?!でもいいこともあるね!テレビ、新聞雑誌を間に受けてはいけない。個人が裏をとる、専門家や個人の多様な意見を求める、そういうことができる時代です。一方で、過度に反応する炎上騒ぎが起こるし、悪ふざけの不道徳な動画などもすぐ出せちゃう。出したら最後、死んだ後でも残る。怖くない?このような駄文は、どうでもよいのですが。