高知龍馬マラソン2024、不思議な感覚

 痛い痛い、足痛い。昨日、なんとか高知龍馬マラソンを完走いたしまして、例年通り翌日の今日は歩行が困難な状態です。ところが、今年の龍馬マラソンはこれまでと違った気づきがありました。

 金曜日、いつものように昼休みのバドミントンを楽しんでいたところ、ピキッと腰に来ました。あ、こ、これは、ぎっくり腰きたかな?幸いにも・・・、軽いぎっくり腰だったため、最後までバドミントンをすることができました。しかし、午後にどんどん腰が痛くなってきました。やばいやばい、明後日のマラソン、走れるかなぁ・・・。

 妻にはマラソンが近いからバドミントンは控えておいたらと言われていたのですが、バドミントンでぎっくり腰とか怪我する確率は低かったので、何言っているのか?大丈夫大丈夫と聞く耳を持っておりませんでした。確率からするとほんと運悪く、妻の言う通りバドミントンで怪我をしてしまいました。

 翌朝土曜日、マラソン前日、ぎっくり腰のため布団から立つのも困難な状況でした。やばいやばい、これはやばい、と思って、試しにGoogleで、「ぎっくり腰、マラソン」と調べてみると、石原良純が全く同じ目にあっていた文章に当たりました。どうも鍼治療で乗り切ったと書いてある。急いで近所の鍼治療を受けに行きました。

鍼師「ぎっくり腰は何度か経験ある中で、鍼治療は初めてですか?」

と、問われまして、

「実は明日マラソンに参加する予定で、藁にもすがる思いできました。なので初めてなんです。」

「そうですか、マラソンって聞いたら、腰も足もできることは全部やりましょう」

ということで鍼治療でできることはここまでです!というところまでやっていただきました。表層はかなりほぐれるけども、奥の方は鍼でも取れないということでしたが、だいぶ楽になりました。とはいえ不調であることには違いありません。

 午後に中央公園のイベントで、マラソン解説者で有名な金さんの講演会を聞きに行きましたところ、質問コーナーがあり、いっそのこと聞いてみようと思って、

「ぎっくり腰で完走しようと思ったら、なんかコツありますか?」

と質問しました。あきれられておりました・・・。それでも

「ま、テーピングくらいで様子見ですかね。歩くだけでは完走できませんしね。ところで通常ですと何時間くらい狙っているんですか?」

「5時間半です!(これでもやや速い方に盛り気味)」

「・・・、あ、それは、どっかの関門で引っかかるかもですね、痛かったら無理せずリタイアしてくださいね。」

と言われました。金さんとお話できて嬉しかったです。ま、リタイアを視野に入れた冷やかし参加と決めていたので、どうなるかわからないけど、楽しめる範囲で楽しもうと思いました。

 で、当日朝、腰の痛みは減っていましたが、洗面で腰を屈めてピキッとなり、やっぱりダメかな、という感じでした。あと、左の太もも側面の坐骨神経痛が弱く残っていました。かなり不調です。金さんの助言の通り、奥さんに腰のテーピングをバッチリやってもらいました。これは、かなり効果がありそうでした。

 会場への道中にちょっと小走りしたところでは、なんとかなるかなぁ、と言う程度で走れました。ただスタートまでの待機中は坐骨神経痛が気になって仕方がない。

 で、朝9時、ついにスタート。さっきの小走り程度はいけそうです。奥さんと娘が1キロあたりで応援に来てるのを発見し、

「なんかいけそう!」

といって、走り抜けました。

 作戦は亀走りでした。実は、練習は5キロ走数回と12キロ走2回だけ。この12キロ走は超スローペースでなるべく長く走ることを目標としておりました。キロ8分ペースで12キロが1時間半ほどかかっており、それで終わりにしていたのですが、一体あのペースでどのくらい走れるのかな?というのが疑問でした。ですので、キロ8分ペースで走れるところまで走るというのが今回のテーマでした。これまでは、キロ6.5-7分ペースで入り、22-23キロから歩き始めるというのが定番でしたので、このキロ8分のゆったりペースで行くことが今年の新しい部分です。初めからキロ8分ですと周りにどんどん抜かれます。このままビリになるんじゃないかと思うくらいどんどん抜かれます。ですが、今年は腰が痛いからリタイアも視野に入っているので、気にしません。

 これが、まぁ、まったく順調で、ほとんど腰の痛みを感じず、普通に走れます。不思議です。15キロあたりから歩く人が出始めて、逆に私がスローペースで抜いていくことになります。うーん気持ちいいい。浦戸大橋の登りは歩きましたが、下りからまた走り始めました。気分が満足して歩く誘惑に駆られてしまうハーフでも、まだまだ足が残っており、どこまでもいけそうな気分です。ハーフでここまで楽なのは初めてです。とりあえず、30キロ目指そう!と思って走っていましたが、27キロ前で突然歩いてしまいました。なぜでしょう?わかりません。一旦歩くともう心折れて、休むつもりで数キロ歩こう・・・、となりました。2キロほど歩いて、んじゃ、走れるところは走ろうかな、ってな感じになります。腰の痛みとかもう関係なく、この辺りから気持ち的には例年通りです。ところが、走るとなんとなくまだ走れるのではないか?という気持ちが芽生えます。ここがなんか例年と違います。なんでかな、なんでかな?と思いつつ、残り4キロでも、結構走りました。去年とは大違いです。去年は残り4キロ、一歩たりとも走れませんでした。今年は、めちゃ走れる。なんなら、速い。40キロインターバルでキロ7分40秒台が出てました。ありえない!なんか、疲れた中で走り方を工夫し、youtubeで学んでいた、地面に乗りつつ腕振りとともに反発を得て滞空時間を長めにっていう走りをしたら、意外と走れてしまうことを感じました。

 「はっしーさん!ナイスラン!」

と沿道の声掛けがさらに奮い立たせます。今年はなぜかゼッケンが番号ではなく、「はっしー」と書いてありました。そういう設定にしていたようですが記憶はありません。けども、少なからず名前で声掛けしてもらって嬉しかったです。

 で、最後のトラックも飛ぶように駆け抜けて、たくさん抜いてゴール!去年と違ってゴール後もそこそこ歩ける。気分が良かったです。タイムはグロスで6時間4分、ネットで5時間55分。スタート形式が去年と違って、ネットで比較すると去年より3分遅いだけでした・・・。 スタート前は腰が痛くてどうしようと思っていたのに、そんなの関係ないってどういうことでしょうか?人間って不思議だなぁ、と思いました。

 

やる気のある週末

 先週水曜日から,娘が受験のため関東へ行っており,それに妻がついていっているので,私は一人で1週間ほどを過ごしています.明日帰ってくる予定です.

 当初はUberで寿司やら餃子やらを頼んでいたのですが,白菜が残っているから鍋をやれと言われていたので,土曜日に鍋をすることにしました.

 で,土曜日,朝に洗濯,卒論チェックで午前中を過ごし,昼はカップラーメンでした.午後にフォレストガンプをアマプラで見て,夕方にマラソンの練習に外へ出ました.小雨模様だったのですが,なぜかやる気があり,非常に遅いペースで1時間半,12キロ弱走りました.ゴールは近所のドラッグストアで,そこで四万十豚,ネギ,えのき茸を買い,帰宅してシャワーを浴びて鍋を作りました.あーやる気のある土曜日でありました.

 で,日曜日,午前中に藤井くんの棋王戦を見て,昼はなぜかやる気がでて,ナポリタンスパゲッティを作りました.うまかったです.昼過ぎに買い物に行きました.家族がいない中でここ数日間でビールを飲みまくっていたので,ビールを補充.その後,イオンへ.雨模様ですごい混んでました.コスプレのイベントがあるようで,あちこちでコスプレしている人がいます.まんずスタバでコーヒーを飲んでから,無印用品で長袖シャツを購入.気が向いたので献血バスで献血献血の看護師さんから,コスプレの写真を撮るのに1000円かかると聞きました.そういうことをちゃんとやっているんですね.大切と思います.イオンのスーパーでまた豚肉を買い,イオンを出ました.帰りにガソリンスタンドで灯油を買いました.白菜がまだ残っていたので,夜はまた鍋を作りました.食べきれず,残りを翌朝おじやにしました.

 ということで,やる気のある週末でした.

2024年1月

 今年は娘の受験のため、実家に帰らず高知で年末年始を過ごしました。まぁ、一通り、おせちやもちともちろんお酒で正月気分をそれなりに味わいました。お城で初日の出も見ました。けども、何やら盛り上がりに欠けた気分でした。なんでかな?ま、よいでしょう。

 年明けて、卒論修論の完成に向けて学生がぼちぼち動き出し、ちょろちょろと手を加えていますが、昔ほどがっつりではありません。なんとかなるでしょう。

 細かい事務仕事、論文レビューやら会議やら授業やら入試やら、なんだかんだいろいろあります。まぁ、そこそこ忙しいです。

 本日朝に、米国のDonの学生の論文が受理されたとメールがありました。ずいぶん昔に一緒に高知のフィールドワークをやった学生です。今は、ワシントン州でPDをやっているとのことです。なんと、私がウィスコンシンでホストをしてもらっていたHaroldのところのPDだそうです。世界は狭いですね。

米国出張、学生の論文受理!

 毎回このポストを書こうと入力ページを開くと、前回のポストからだいぶ日が経っていることに驚きます。あっという間に時間は過ぎます。

 先週は米国・サンフランシスコに行っておりました。米国地球物理学会に参加・発表するためです。今回は来年度から博士に行くと言っている学生二人を連れて行きました。お金がかかるので、できるだけ安くしようと航空券を探っていると、一番安いのがホノルル経由のJAL系列でした。ANAだといろいろ特典がつくステータスなのですが、JALは一般人です。かつ、ホテルもできるだけ安くしようと3人部屋にして、ちょっと会場から遠い安宿にしました。評価のコメントを見ると、夜はヤク中が叫んでいるとか、ドアを叩いてくるやつがいるとか、治安の悪い感じです。ですが、そのような場所しか安いところがないので、安くてもまだマシな方、と思われるところを選んで取りました。

 高知から羽田、成田へ移動して成田からホノルルへ。行きはホノルルで7時間ほどあり、荷物を預けたらだいぶ時間があるので、ちょっと観光しようということでパールハーバーへ行きました。日本の冬服から常夏のハワイなので、暑い暑い。いろいろとすでに物価が高い!パールハーバーの荷物預けが7ドル。預けないと入れない。ゲートを入ると、有名な展示物はまた別料金でえらい高い。ディズニー並みです。時間もないので、別料金のチケットは買わず、タダでみられる範囲の展示物を見て、遠くに見える戦艦を見て、ちょっと早めに空港へ戻りました。

 ホノルルからサンフランシスコへ。行きはたったの4時間半。途中休憩できて返って楽でした。到着は夜8時ごろだったかな?治安を考えて、昔よく使ってたシャトルに乗ろうと思ったらどこで乗るのかわからず、インフォで聞くと、もうシャトルはない、3人ならウーバーが安いよ、ウーバー乗るなら上の階だよ、と教えてくれました。ウーバーは使ったことないのですが、すぐにきて、すぐにホテルの前につきました。楽です。その日は、近くのピザ屋でサンドイッチを頼んで部屋で食べて寝ました。

 翌朝から学会です。学会では、日本で一緒に研究したドンや、来年度お世話になるパオラと昼を食べて打ち合わせ、夜はICDP, IODP, 日本人仲間、中華街で盛り上がりました。毎晩飲んで、二日くらいは飲み過ぎました。学生も自分も学会発表を無事終えて、なんだかんだいろいろ聞くものがあり、毎日しっかり座って聞いておりました。禁煙継続中なので、ほんとずーっと座ってます。昔だったら次の話は関係なさそうだからダッシュで喫煙!とかやってましたが、ほんと無駄でした。

 学会が終わっても1日延泊して、ゴールデンゲートブリッジの向こうの露頭を見に、フィッシャーマンズワーフで自転車を借りて行きました。街中では車上荒らしがひどいという治安の悪さを聞いて、レンタカーを諦めていました。定番の、自転車でゴールデンゲートブリッジを渡って、隣町のサウサリートからフェリーで戻るルートですが、その前に西側の露頭を観察します。ひどい登り坂で大変でした。さらに奥のビーチの露頭までいきました。ゴールデンゲートブリッジ渡り切ってから5キロほどで行きはよく、帰りは緩やかな登り・・・。しかもビーチでは潮が高く、露頭が水没して見られませんでした。悲しい。結局サウサルートに着いたのは3時過ぎで、4時15分のフェリーまでにちょっとクソうまいチーズかけフレンチフライをみんなで食べて、フェリーでフィッシャーマンズワーフまで戻りました。フィッシャーマンズワーフでお土産を買って、晩御飯を食べました。

 で、晩御飯を食べていると・・・、一人の学生が

「わっ!アクセプトだ!」

とか言い出して、何を言っているのかすぐわからなかったのですが、なんとついに彼の論文が受理されたようです!なかなかの国際雑誌です。おめでとう!ということで、追いビールで乾杯です。3月に投稿し、リバイス、追加実験、リバイスで3回目の投稿でした。しかも、結構修正していたので、もうワンラウンドあるかなとびびっていたところで無事受理と相成りました。曰く、一人のレビュワーに精査してもらったら、「ちゃんと回答されているので、このまま掲載可能」と言っているとのことです。いつ見ても、I am pleased to infom you,,,の文章はよいですね!

 

 帰りはやはりホノルル経由で帰りは1時間しかなかったですが、セキュリティー内の移動でお土産を買う余裕がありました。ホノルルから今度は成田ではなく羽田で、羽田から高知の最終便へ。このトランジットの予定は着陸1時間ちょいでした。だがしかし現実は20分遅れで到着。飛行機から出た瞬間に名前を呼ばれてモノレールのただ券をもらう。

「モノレールを使ってください!」

この場はこれで終了です。とにかく荷物を取って税関通過しなければならない。税関申請はvisit Japanで済ませ、顔認証登録端末を先に終わらせて、荷物を待ってダッシュするだけです。荷物は着た順からダッシュ。自分の分が最後で、見かねた職員が一緒にダッシュしてモノレールへ。

「2分後のモノレールに乗ったら3分でターミナルに着きますから!」と言われて、ただ券見せてダッシュで改札を通過。

ターミナル1の出発ロビー。どこに行けば良いかわからないまま、接客中のJALの職員を捕まえてspecial supportに行くと、荷物を受け付けてくれるという。この時点でゲートが閉じる時間を5分過ぎている。ゲートが閉じる時間ってなんなんだろう。ではなくて、我々のチケットが航空会社が保証している旅程なので、航空会社も無理を承知なのだろう。わざとやっている感もある。多少出発が遅れても構わないようだ。これが、ただの寝坊だったら相手にしてもらえないと思います。

 しかし、こちらはそんなこと知らない。もう時間がない、出発時間までにゲートにとにかくダッシュだ!と思ってダッシュしまくったら、ゲートはまだ人でいっぱい。よく考えたら俺たちの荷物のせいで遅延してたんだろうね。走ることなかったわ・・・。羽田ダッシュの良い思い出になりました。

 

良い年末を!

ついにドイツに来たぞ

 現在ドイツにおります。いえーい。

 2016年にJSPS国際共同研究加速基金でドイツに一年滞在していました。その時一緒に研究していたドイツ人の友達と新しい共同研究を立ち上げ、2020年に新しい国際共同研究化加速基金を当てました。これは、ドイツにやや長期で滞在して、何か分析するような研究を対象としており、本当は毎年ドイツに来られるはずだったのですが、コロナのおかげで全く来れませんでした。今年になってようやくですね。去年も来れなくはなかったのですが、イギリスでコロナにかかり帰って来れなくなるような日本側の制限がしばらくあったので、躊躇しておりました。

 2017年に帰国して早くも6年が経ち、ドイツ人の友達研究者にも紆余曲折があり、今はハレ大学のフルプロフェッサーとなっています。ということで、私も今はハレにおります。2週間ほどの滞在予定で、現在は5日目かな。分析と論文の打ち合わせを行う予定です。

 日本から飛行機でフランクフルトに夜に着いて泊まり、フランクフルトから電車でハレまでおよそ3時間。ここでもちょっとトラブルがありましたが、無事ハレ中央駅に到着。ハレ中央駅からトラムで大学に行くことになっていました。2番のトラムに乗れと教わって、ホームに行ったはいいけども、どっち向きに乗ったら良いのかわからない。近くに立っていたおじさんに聞くと、

「あ、私もそこに行くところなんだよ。こっちのホームで大丈夫だよ。」

と教えてくれました。なんだか話に花が咲きまして

「どっから来たの?」

「日本です」

「え、ちょうどうちの娘が今日本にいるんだよ。」

「えー!」

と言って、娘さんから送られてきた写真を見せてくれました。

いきなりハレの印象が良くなりました。

が、まだトラブルが続きます。

 

やや長期の滞在なので、キッチン付きのホステルを予約していました。Booking.comの示す場所に行くと、ドアに鍵がかかっていて中に入れない。電話するとドイツ語しか喋れない人が出てきて、全く通じない。この時もう夜7時過ぎでした。テキストメッセージで暗証番号を教えてもらい、それを打ってもドアは開きません。すると、背後に人が来て英語で話しかけられました。

「どうしたの?」

「今日ここに泊まる予約をしているんだけど、中に入れません。ドイツ語喋れますか?」

「僕もドイツ語できない。とりあえず中に入れてあげよう、誰かに助けを頼もう。」

と言って、中に入れてもらいました。全く違う暗証番号でした。

中に入ると上から階段を降りてくるおじさん。

「あなたの助けが必要です。ドイツ語喋れますか?」

「いや、俺もドイツ語喋れない。でもここのシステムに詳しいからなんとかしてあげる。実はここはホステルを管理している会社のメインオフィスがある場所で、実際に泊まるホステルは複数あるんだよ。君の部屋はどこなんだ?」

「え、そうなんですか?!それ超難しすぎる。私の部屋はどこなのか分かりません。」

実際、Booking.comに来ていた長文のドイツ語メッセージにはそんなことは書いていないようでした。しかし、先ほどのテキストメッセージに私の部屋番号が書いてあったのでした。なんとかストリート12のW5だと。それがストリート名でW5が部屋番号だとは思いませんでした。おじさんが指摘してくれて分かりました。今改めて見てみるとどう見てもちゃんと書いてありました。グーグル翻訳したんですけども、把握しきれていませんでした。気が動転していて理解力が落ちていたと思われます。

「俺車持っているから、そこまで送ってあげるよ。」

と言われ車で2分ほどのところに送ってもらい、一緒に部屋を探してくれました。無事暗証番号でドアの扉が開き、マジで安心しました。

「ありがとう!あなたの出身はどこですか?」

ルーマニアだよ。ここではコカコーラで働いているんだ。」

お礼を渡そうとすると、

「いらないいらない、良い夜を!」

と言って去っていきました。

その後、ドイツ人友達とその奥さんと同僚でインド料理屋でディナーを楽しみました。ドイツビールが美味かったです。